7/31 四股1000 九十五日目 七月場所十三日目 服部桜論

 10名参加。東京、京都、大阪、沖縄より参加。背伸び&捻り、イチロースタイル腰割り、2ndポジション、1stポジションでドゥミプリエ、グランプリエから開始。七月場所十三日目序ノ口の取組を観戦しながら実施。本日のカウントは、十三日目解説、松井茂短歌作品集(和歌詠みスタイル)、ワインの美味しい飲み方、日本語の数字、2016126JACSHAフォーラム、「説経節かるかや」(伊藤比呂美現代語訳)、全員のカウント(即興演奏)1000回。

 本場所の十三日目以降は、取組数が少なくなるので開始時間が遅くなる。開始時間と四股1000の時間が重なったので、開始を告げる柝の音をメンバーで共有できたのは感慨深い。最初の取り組みは、服部桜ー大子錦戦。ダンサーの砂連尾さんは、負けて花道を引き上げていく服部桜のすがすがしい背中が印象的だったという。悔しさを感じさせず、むしろ胸を張って帰っていくようだ、彼は勝負に捉われていないのだろうという。これはなんとも目から鱗の服部桜論なのではないだろうか。砂連尾さんは、合気道の先生と対戦するとき、私が自ら負けにいっている、自ら技をかかりにいって気持ちよい、ということがあるそうだ。服部桜にもし勝ちたい気持ちがあるのならば、なかなか白星をあげられない土俵に立ち続けるのは困難なはずだ。相撲がとても好きであるとか、相撲を何年も取り続けている服部桜なりの哲学があるのであろう。砂連尾さんはまた、序ノ口の吉野が、膝が直角に曲がっていていい四股だったと言う。今後の吉野にも注目だ。

 四股1000前には、バレエと相撲の動きをミックスした準備運動をする。演奏家は本番前に準備運動をするか尋ねたところ、ピアニストの平良さんが見せてくれた動きはテッポウだった。四戸さんはオーボエ奏者の準備運動というか心掛けとして見たことを教えてくれたが、指揮者に対して機嫌が悪くなった時に、下がってしまった口角を、楽屋の鏡の前で上げる練習をするという。確かに、管楽器奏者にとって口角の角度はダイレクトに音に影響してしまうだろう。口角が下がってしまったら音が鳴らない。元横綱稀勢の里も、土俵下で控えている時に、口角を上げて気持ちを高めていることがあったので、もしかしたら四股にも影響するかもしれない。明日からは口角も意識して踏んでみようと思う。

7/30 四股1000 九十四日目 七月場所十二日目 トントンストン

 9名参加。東京、京都、大阪、沖縄より参加。七月場所十二日目序二段の取組を観戦しながら実施。本日のカウントは、バッハ「フランス組曲ト長調」よりアルマンド、日本語の数字、コンサーティーナによる取組即興演奏、2016126JACSHAフォーラム、トントンストン即興、呼出し大将さんについて、コントラバスの弓取式、全員のカウント(トントンストン即興)1000回。

 JACSHA鶴見は、相撲と音楽の相性の実験として、バッハのアルマンドを演奏。コントラバス奏者の四戸さんは、神の視点で相撲を見ているようだったそうだ。四戸さんはコントラバスの弓で、弓取式に挑戦してみたが、弓取式の弓に比べるとだいぶ短いことがネックのようだった。JACSHA野村は、弓道の弓でコントラバス演奏をしたことがあるらしい。鶴見の楽曲作品に、弓取式をテーマにした、ヴァイオリンとピアノのための「毛弓取り甚句」があり、いつしか四戸さんのコントラバスでの演奏を願う。ラスト100回は、野村が現代音楽風のフリーインプロをピアノで奏で、それに反応するように四戸さんがトントンストンのリズムで即興セッション。低音のトントンストンはパンチが効いてカッコいい。

 歌手の松平敬さんは、ボタン式のアコーディオンのような、蛇腹のついた小型の楽器「コンサーティーナ」で、相撲の取組を見ながら即興演奏した。呼び上げから仕切りの時間中の静かな音楽と、立ち合い後からの激しい音楽へのダイナミックな切り替わりは、一つの楽器で演奏しているとは思えない柔軟さだ。野村は、グヴァイドゥーリナの作品のようだという。また、押したり引いたりしながら発音する楽器なので、それ自体が相撲の取組のようである。是非これからも相撲の音楽に活かしてほしい。

 野村が連日音読しているJACSHAフォーラムは、トントンストンから生まれた楽曲の話。トントンストンとは呼出しさんが演奏する相撲太鼓のリズムの一部のことである。鶴見はこれまで相撲太鼓のリズムをベースとした楽曲をたくさん作ってきた。「弦築」「BUTSUKARI」、「SUMO PIANO TAIKO」「一鍵一鍵」など。野村は、ベリオのセクエンツェアのよう、シリーズとしてまとめたらどうかと提案したが、鶴見はどれも同じネタであるのがバレるのは嫌だということで、隠れトントンストンシリーズと命名された。

 鶴見がカウントした、土俵上の呼出し大将さんについて、幼い頃から呼出しに憧れて、巡業にもよく行くので呼出しさんの中でも有名になり、夢叶って呼出しになり、絵本にもなったんだそうだ。相撲太鼓の勉強に、5年前の両国賑わい祭りで、呼出し利樹之丞さん、邦夫さんのデュエット相撲太鼓を見に行った時、期待の若手呼出しとして大将さんが紹介されて一番太鼓を演奏したという。土俵上の呼び上げの声も大きく真っ直ぐで気持ちいい。大将さんが立呼出しになるだろうあと40年後に、大将さんの結びの呼び上げを聞くのは人生の大きな夢だ。その時には、四股1000祭りをしたいとJACSHA樅山から提案がある。

 評論家の松平あかねさんは、呼出し重次郎さんはとてもいい声で、歌からすると逸材だ!と太鼓判を押す。また、行司と呼出しでは、声の方向が違うと解説してくれた。行司は水平方向に、呼出しは斜め上の方向だという。呼出しは、相撲太鼓もそうであるが、お客さんに向かって遠くにお知らせするために、行司は、神様や力士に対する呼び上げである、という役割の違いなのだろうと語り合う。

 JACSHAの夢である「相撲聞芸術大学」では、今時の大学に倣って、出席率は成績にはあまり影響しない、と想定されていたが、久しぶりに四股1000に参加した樅山は、四股1000は出席率が関係するという。確かに出来るだけ毎日踏むことが大事なのは間違いない。成績のランクは、相撲の番付に倣って、序ノ口〜横綱、引退、年寄まであるが、相撲聞芸術大学には卒業という概念はなく、一生学び続ける生涯大学として位置付けられる。

7/29 四股1000 九十三日目 七月場所十一日目 呼出しのオペラ配役

 8名参加。東京、茨城、京都、大阪、福岡より参加。大相撲十一日目をAbema TVで観戦しながら。本日のカウントは、相撲観戦レポート、2016126JACSHAフォーラム音読、「説経節かるかや」(伊藤比呂美現代語訳)音読、地歌「茶音頭」解説、数字カウント、数字カウント、相撲観戦レポートと神明裁判、数字カウント、2016126JACSHAフォーラム音読、全員での即興で1000回。

 JACSHA鶴見は昨日の国技館での相撲観戦で、行司さんの背中をじっくり鑑賞。左肩が少し下がる独特な背中が特徴。ソプラノ歌手のあかねさんも昨日、国技館で相撲を観戦されて、声を味わったそうで、「邦夫さんロブスト、利樹之氶さんレッジェーロ、重太郎さんスピント。幸司さん、スピント系キャラクターテノール。適応する役、ミーメ、ローゲなど。」と呼出しさんのオペラ配役を考えているうちに、テノールが多いことに気付いた。逆に行司はバリトンが多い。国技館で鑑賞しているうちに、神明裁判を類推されたとのこと。確かに、行司は裁きをすると言う。神明裁判とは、神意を得ることにより、物事の真偽、正邪を判断する裁判方法。相撲神事は豊作を祈願する神事であると同時に、豊作や吉凶を占う占手相撲であったとも言われる。相手の命を奪う決闘ではなく相手の戦意を奪うことで裁きを確定する。九州の大雨を豊作を占う神事が示していたり、東日本大震災を塩釜の豊作を占う神事で予知されていたとの報告もあるらしい。古代日本の盟神探湯(くがたち)という神明裁判についても、リサーチの必要を感じる。四股1000は、相撲聞芸術大学でもあり、相撲聞芸術研究室でもある。

 JACSHA野村のJACSHAフォーラム音読では、さいたまトリエンナーレの当時のスタッフだった蟻川さんから、JACSHAは、3人のチーム名ではなく、広がっていってプロジェクト名になってもいい。を超えてJACSHAという現象になっていくといいのでは、との指摘。JACSHA現象になっていきたい。相撲のリズムを独特にする「ストニコ」の話をすると、四戸さんから「春の祭典」のリズムを「ブタブタ、子ブタ」と当てはめていくと、一箇所だけ「親ブタ」のところがあるとのこと。また、栃木県樅山町生子神社の赤ちゃん相撲のリサーチ構想も語られるが未だ実現せず。JACSHA樅山の妹であるやっちゃんは、以前タクシーの運転手から、樅山姓の人ばかりが住む福井のある村の話を聞いたことがあるらしい。その人たちの先祖は忍者だというが、謎に包まれている。福井の樅山姓と栃木の樅山町に繋がりはあるのだろうか。昨日は、相撲聞芸術大学の構想の下りを読んだが、今日は相撲聞芸術サミットの話が語られた。福井の東郷地域の登短為神社の花山行事の練り歩きでは、数年前から女子も参加するようになっている。岩槻の古式土俵入りに女子が加わる時代も近いのかもしれない。JACSHA世話人の里村が音読した「説経節かるかや」では、女人禁制の高野山をかるかやの妻と息子が訪ねようとする場面に差し掛かる。女人禁制の山、相撲、祭りなどあるが、日本書紀での相撲の初出は、采女による相撲である。

 竹澤さんによる三味線を六下がりという珍しい調弦にする「茶音頭」について解説。茶の湯の事物で艶麗な相愛を歌う地歌。聞いてみたい。作詞は伊勢屋みつ。竹澤さんは最後の900番代の即興で、石川県出身力士の名前を言う中で、深井が高砂部屋であることから、もし出世して四股名が「朝深井」になったら、浅いのか深いのか?でも、高砂親方が定年になって代替わりしたら、高砂部屋は朝をつけ続けるのだろうか?元々は、高見山、水戸泉、富士桜など、朝潮以外は朝がついていなかったし、朝青龍や朝赤龍にしても若松部屋時代から朝はついていたので、今後、高砂部屋では朝がつくのだろうか?と話し合う。相撲をじっくり見られるからシンプルに数字カウントにする選択も多かった。熱戦が続く中、まだ髷が結えない夢道鵬の強さが光った。一気に上まで駆け上がっていきそうな予感。JACSHA鶴見は、四股の途中で搭乗し、沖縄へ飛ぶ。

四股ノオト
7/29 四股ノオト

7/28 四股1000 九十二日目 七月場所十日目 敗者に寄り添う音楽

 5名参加。東京、京都より参加。七月場所九日目序二段の取組を観戦しながら実施。本日のカウントは、日本語の数字、「千鳥の曲」波の手事、相撲聞芸術フォーラム(2016.12.6)、竹野相撲甚句、十七弦調弦、「説経節」(伊藤比呂美現代語訳)、全員のカウント(即興演奏)1000回。

 地歌奏者の竹澤さんは、お箏は相撲に合うかしらと、十三弦、十七弦を演奏くださった。十三弦の音色は、十両以上の相撲に合う気がした。化粧回しを付けていたり、行司さんが裸足じゃなかったり。倍音が多いので、いろんな色が見えてくるからだろうか。十七弦の低く太い音色は、格付けによらずどの相撲にも合う気がしてとても面白い。演奏姿もテッポウをしているようである。

 JACSHA野村が書き起こして、今日から音読が始まった相撲聞芸術フォーラム。JACSHAの夢の一つである「相撲聞芸術大学」の創立について、JACSHA鶴見はすっかり忘れていたらしい。建築科や舞踊科などコースも多義に渡る。大学では毎日、四股・テッポウをやるそうだ。ということはつまり、毎日の四股1000は、知らずのうちに大学のリモート授業を実施していることになっているのではないか。単位や資格、試験、シラバスについても考えていかねばならない。

 ラスト100回の即興演奏で始めの頃、野村がピアノで、野村風ともサティ風とも坂本龍一風とも聞こえるような音楽を演奏した。相撲に音楽を付けるとしたら思いつかないような意外なマッチング。こういうのも面白い。そして土俵上では優勢だった力士、闘鵬さんが負けてしまった。無念の黒星の余韻を味わうように、竹澤さんと野村は、敗者に寄り添うように音楽を即興した。それだけにドラマチックで音楽的な負け方であった。相撲節会では勝者へ向けた雅楽が演奏されたそうだし、勝者を称える音楽は現在でもいろいろな機会で耳にする気がするが、敗者の音楽というのはあまり聞かない。これがあったせいか、今日一番の注目取組である朝乃山ー御嶽海戦で、朝乃山が大きく投げられる瞬間に、お箏の乱れたような音楽が脳内再生し、一瞬がスローモーションに見えた。取組後、今場所初黒星を喫し、土俵下で座っている朝乃山の背中からは、ずっと音楽が流れていた。

 鶴見は両国公園から参加した。土俵のような広場があったり、土のエリアもあるので、先月隅田川沿いでやったように、今後の四股1000オフライン会場としても良さそうだと提案があった。

四股ノオト
7/28 四股ノオト

7/26 四股1000 九十日目 七月場所中日八日目 祈りの四股

 6名参加。東京、神奈川、茨城、京都より参加。七月場所中日八日目幕下上位〜十両の取組を観戦しながら実施。本日のカウントは、日本語の数字、取組実況、茶音頭(六下り)、ポーランド語の数字、仲順流り、全員のカウントで1000回。

 地歌奏者の竹澤さんは、土俵上の木村朝之助さんは、歌舞伎役者のようで、役に入っている(行司の役)ように見えるという。確かにそうかもしれない。表情もたたずまいも、体の動きも声も、普段とは全然違い、大変迫力があるので、見ている方もグイグイと惹き込まれていく。でもこれは役であったり、演じているのとは違う気もする。行司さんは行司そのものであるが故の迫力に圧倒される気がする。行司の練習はしないと朝之助さんがおっしゃっていたのは、行司そのものだからかもしれない。人間は人間の練習をしないように。

 竹澤さんは、昨日紹介してくださった、六下りの三味線楽曲「茶音頭」を演奏くださった。野点(のだて)や、お点前の時に演奏する音楽らしいが、これまた相撲に合う。JACSHA鶴見は、沖縄の三線音楽は相撲に合うのかどうかの実験として、エイサー音楽「仲順流り」を演奏した。土俵はちょうど、沖縄ゆかりの二人の力士、千代ノ皇に美ノ海の対戦であった。幟が立っているようなお祭り感があって、嬉しくワクワクすると竹澤さんが感想をおっしゃってくれた。もっといろいろな音楽と相撲の相性を実験してみたい。

 評論家の松平あかねさんは、最近はよく足が上がっているなと見ていたが、股関節が動いてきてリンパの詰まりが解消されてきたかもという。バレエをやっていた子供の頃、足首と膝だけを無理に外側に開いていたので痛めてしまったことがあるらしいのだが、6年前に回向院にて開催した、一ノ矢師匠を講師にお呼びしたワークショップ「レッツ相撲ミュージック‼︎」で四股トレをしたときに、股関節から開くことを教わったことで、かつては無理をしていたのだと気付いたという。師匠にもお伝えしなければならない。

 四股1000を始めて90日目。1000回は全然無理がないのが染み付いたので、そろそろ回数を増やしたくなってきた。ダンサーの砂連尾さんは、今月来月中には110000回に挑戦したいと言っていた。1000回で約30分するから、10000回だと5時間。ぶっ続けは大変だろうから、何千回かずつ分けたとしたら、一日中四股を踏み続けることになる。松平さんはそれはまるで修道院のようだという。祈りの聖歌を一日中歌い続けるように四股を踏む。晩鐘の鐘の代わりに拍子木を打つ。四股は祈りなのである。

四股ノオト
7/26 四股ノオト

すもう×おんがくワークショップ レポ

723日は、兵庫県豊岡市で行われた「とよおかアート縁日」で、を実施。コロナ感染予防対策を入念にし、工夫を凝らしたニューノーマル仕様のワークショップ。樅山と鶴見は茨城のスタジオからリモートでハイテンションで声を張り上げながら、解説を交えて歌を歌い、同時に野村はワークショップ会場で一切声を出さずにハイテンションで体の動きと楽器のみでリード。こんなやり方もあるのだなぁと、新たな可能性に良い手応えを感じました。内容は、JACSHAがこれまでリサーチをしてきた、但馬地域に残る相撲文化の、ねってい相撲、竹野相撲甚句を取り入れ、楽器を鳴らし体を動かしながら、ねってい相撲ゲーム、創作した竹野相撲甚句体操を15分の中にギュギュっと盛り込みました。会場はお子さんから大人まで盛り上がりました。

7/25 四股1000 八十九日目 七月場所七日目 相撲に合う音楽2

 7名参加。東京、茨城、京都、福岡より参加。七月場所七日目序二段の取組を観戦しながら実施。本日のカウントは、取組実況、宮城道雄小曲集「みよしのは」、葉っぱのフレディ、松井茂短歌作品集(和歌詠みスタイル)、日本語の数字、買い物東西土俵入り、「記憶する体」(伊藤亜紗著)、調弦実況、全員のカウント(取組即興演奏)1000回。

 歌手の松平敬さんが久しぶりに「松井茂短歌作品集」を和歌詠みスタイルでカウント。これも相撲を見ながら聴くといい相性である。

 昨日に引き続き、三味線と相撲の相性について。地歌奏者の竹澤さんが演奏する楽曲でなく、調弦を変えるだけでも、相撲との相性が引き立つ。口三味線や三味線でカウントを続けてきた宮城道雄小曲集第一巻は遂に今日で終了。三味線には、本調子、二上がり(二揚げ)、三下り(三下げ、一二揚げ)の他にもいろいろな調弦があり、JACSHA鶴見からは、日本の三味線とは違う、沖縄の三線独特の一揚げ(長二度ー完全五度)、竹澤さんは六下り(完全四度ー長二度)を紹介してくれた。沖縄の三線と相撲との相性はどうかと、鶴見が一揚げの楽曲を少し演奏してみたが、JACSHA野村は、音楽を聴きながら相撲を見ると、相撲の忙しいテンポに乗らず、音楽のテンポの中で相撲を見るので、相撲がゆっくりに見えると言う。ますますいろいろな音楽で相撲を見たくなってくる。ラスト100回では、取組を見ながら即興演奏を試してみたが、これもまだまだ展開出来そうだ。

7/24 四股1000 八十八日目 七月場所六日目 相撲に合う音楽

 10名参加。東京、茨城、京都、大阪、福岡より参加。七月場所六日目序二段の取組を観戦しながら実施。イチロースタイル腰割り、2nd1stポジションで、ドゥミプリエ、ルルベ、グランプリエから開始。本日のカウントは、日本語の数字、取組実況、723日読売新聞朝刊文化欄「エンニオ・モリコーネ氏を悼む 映画を超えたメロディー」(大友良英)、「サイレンス」(ジョン・ケージ著、柿沼敏江訳)、葉っぱのフレディ、宮城道雄小曲集「みよしのは」、全員のカウントで1000回。

 相撲を見て四股を踏みながら、いろいろなカウント、お話を聞くのも面白くなってきた。地歌奏者の竹澤さんが三味線を鳴らした瞬間、相撲との相性に心が揺らいだ。JACSHA鶴見はすぐに酒が飲みたくなったという。相撲と三味線が合う感じ、これはどういうことなのか。鶴見はひょっとして文化的な先入観のせいもあるのかも、と言っていたが、ダンサーの砂連尾さんは、バレエなどの西洋音楽と体の動きが「合う」感覚というのは、音楽と動きが同期する方向に向かうが、相撲のテンポと即興的な足運びと三味線は、主と従の関係がなく、何事も起こっていないような感じで、余白や隙間を想起させ、ゆっくりと引き込まれるような感じ、という。abemaの相撲中継の幕内取組では、プロレス的な演出でBGMも流れるが、三味線が合うというのもいいねぇ、と文化生態観察家の大澤さんは言う。

 昨年12月にJACSHA野村と鶴見が、日本センチュリー交響楽団の企画「ハイドン大學」で、相撲を通してハイドンの交響曲を分析するということを行った。鶴見は楽曲のスコアを見たり音楽を聞くと、相撲の技や特定の力士、特定の取組が思い浮かんだので、ある楽章と千代大海や寺尾の突っ張りと合うと紹介された、音楽とビデオを同時に再生して見ると「合っている感じ」がしてとても面白かったが、確かにあれも同期の楽しさだ。敢えて音楽の自然な流れを分断して作られたような楽章と、炎鵬ー豊山戦の不思議な立ち合いと間合いのマッチングは、同期の楽しさと余白への引き込まれ感の両方があったとも言える。

 各地の格闘技では、例えばタイのムエタイや、ブラジルのカポエイラは競技中に音楽が演奏される。大相撲の取組中に音楽は演奏されない。相撲の音楽といえば相撲甚句があるが、取組中に歌われることはなく、独立した余興として行われる。「相撲節会」(すまいのせちえ)があった平安時代の頃は、雅楽が演奏されていたのかもしれない。鶴見は、かつて相撲で演奏されていたかもしれない音楽を想像して曲を作ったことがあるそうだが(「弦築」)、相撲の楽しみ方は様々あっていいのだから、四股1000をしながらいろいろ試してみたい。ラスト100回の全員カウントの時に、相撲を見ながら即興演奏してみようということになる。