「南後船」(ふぇーぬくしぶに)の作曲について 鶴見幸代

202137日(日)に、沖縄県浦添市のアイムユニバース・てだこホール大ホールにて開催された、琉球交響楽団第39回定期演奏会にて、オーケストラと歌三線のための作品「南後船」(ふぇーぬくしぶに)が、大友直人指揮、琉球交響楽団と歌三線の島袋奈美、棚原健太で初演された。

312日(金)の沖縄の新聞、琉球新報と沖縄タイムスの両紙に、琉球交響楽団第39回定期演奏会の様子がカラーの写真付きで紹介された。「南後船」に関する箇所を下記に引用させていただく。

琉球新報『作曲家の鶴見が琉響のために書き下ろした「南後船」は、江戸時代から明治にかけて、大阪から北海道を航海した商船群「北前船」の文化に影響を受け沖縄版を創作。糸満ハーレー歌や勢理客の獅子舞の音楽を取り入れ、七五調の囃子歌「相撲甚句」を組み合わせた。琉響の迫力ある演奏と、島袋と棚原の高らかな歌三線が、リズミカルに本土へ向かう意気揚々とした旅や夢を物語のように表現した。』(田中芳)

沖縄タイムス『委嘱作品「南後船」は江戸から明治期に日本の交易を担った「北前船」をモチーフにした。架空の船「南後船」が沖縄から本土に向かう様が、沖縄音階を刻むオーケストラと琉球古典音楽の島袋奈美、棚原健太による歌三線で色彩豊かにつづられた。ティンパニ、弦楽器の音を大胆に使った音使いは、勇壮な中にも優しさが込められ、歌三線と「どすこい」の「ふぇーし」を伴った「双葉山甚句」の構想は好角家、鶴見の面目躍如。「和洋」に「琉」の要素を加えた楽曲をドラマチックに締めくくった。』(天久仁)

→沖縄タイムス電子記事


「南後船」は「オペラ双葉山」に直結する。今後の「オペラ双葉山」と「南後船」の発展のために、作曲の経緯、内容、気付きについての詳細を、相撲聞エッセイとして記述しておく。

コンサートのプログラムノートとして書いたのが下記である。

実在した「北前船」(きたまえぶね)に対して、沖縄から内地へ物資を運ぶ架空の船「南後船」(ふぇーぬくしぶに)の旅物語。日本相撲聞芸術作曲家協議会(JACSHA/ジャクシャ)が創作中の「オペラ双葉山」の「北前船と南後船の段」からインスパイアされた。糸満ハーレー歌が歌われ、相撲太鼓のリズムに合わせて獅子舞の音楽も登場する。北前船の船乗りが伝え、全国各地に残っている民謡「相撲甚句」の代表的なものに「一人娘」がある。兵庫県但馬地方の「一人娘」の歌詞から、琉球包みが嫁入り道具の一つであるのが分かるが(これも事実)、それは南後船で運ばれた名残りなのである。そして、但馬に寄港した船乗りが、相撲巡業で双葉山の相撲を見て感動し、相撲甚句を覚え、三線伴奏で歌うようになった。沖縄には相撲甚句がないというが(これも事実)、実は南後船では沖縄風に相撲甚句が歌われていたのであった。船、海、相撲の文化を通して、沖縄と日本の音楽の合わせ技が聴きどころです。

作曲の経緯と内容:

20209281012日の十五日間JACSHAは二度目となる城崎国際アートセンター(KIAC)でのアーティストインレジデンスを行った。十四日目の1011日には、滞在成果発表として、「オペラ双葉山〜竹野の段」を上演した。2年前の2018年のレジデンスの際に、城崎から山をこえた町、竹野に伝わる竹野相撲甚句に出会い、2019年にはヴァイオリニストの小川和代さんの委嘱で、竹野相撲甚句をベースにしたヴァイオリンとピアノのための作品「毛弓取り甚句」を作曲した。小川さんのお母様が竹野出身であるという驚きの偶然は作曲してから知った。そして、2020のレジデンスで、小川さんも一緒に竹野についてさらにリサーチを深め、創作した「竹野の段」には竹野相撲甚句が多様に展開されている

レジデンスを終えて間もなく、JACSHAフォーラム2020『オペラ双葉山』とは何か?という冊子を1ヶ月たらずで制作した。『オペラ双葉山』FUTURE〜取組予定〜コーナーで「竹野の段」に続く、他の段のアイデアが多く書かれている。その内の一つが、「北前船と南後船の段」である。

北前船と南後船の段『相撲甚句の伝播にとって欠かせないのが、力士、船乗り、そして座敷だ。秋田から北前船に乗った船乗りが、各地で覚えた相撲甚句を竹野で披露し、竹野相撲甚句となった。甚句とともにお嫁さんもやって来た。一方で、沖縄から南後船に乗った船乗りが、港町で相撲巡業を見て感動し、お座敷で甚句を覚え、三線伴奏で歌うようになった。歌の名手はどこに行ってもモテモテで色濃い話が絶えないものである。旅と相撲甚句のロマンチックストーリー。』JACSHAフォーラム2020『オペラ双葉山』とは何か?より)

琉球交響楽団(琉響)から作品委嘱をいただいたとき、この「南後船」の曲にしようと決めた。先のプログラムノートにも書いたように、「南後船」は架空の船である。「北前船」の逆の名称を付けただけのものである。北前船は「きたまえぶね」と読むが、南後船は「みなみあとぶね」なのか「なんごせん」なのかどうするか迷ったが、琉響に沖縄らしい読み方を相談し、「ふぇーぬくしぶに」とした。しかしおそらく、どれで読んでも正解である。北前船は沖縄らしく読むと「にしめーぶに」になると思う。

「南後船」の作品にしようと思ったのは、沖縄の糸満ハーレー歌が、船出の音楽としてぴったりなのではないかと閃いたの大きい。糸満ハーレーは、船の競争も、その前後に行われる行事も何度か見に行ったことがあるのだが、そこで歌われるハーレー歌よく知りたいと長年思っているうちに、糸満出身のテノール歌手である喜納響さんが、たびたび歌ってくれ、いつしかやってみたいと、華やかな旋律に魅せられていった。糸満はないけれど、他の地域のハーリーでは何度も船を漕いだことがあり、我を忘れて全身全霊で漕ぎ続けるときの恍惚さがとても好きなので、一層思い入れが強い。(糸満ではハーレーというが、ハーリーという地域もある)

そうして、「南後船」の冒頭は、糸満ハーレー歌とともに打たれる鐘をイメージした、チューブラーベルの音から始まる。音楽作品として、聞き手の解釈の幅を広げるために、プログラムノートに詳細は書かなかったが、ここからは私が作曲したときのイメージや考えていたストーリーも記しておく。

鐘から始まるイントロ部は、夜が開ける前の海。もしくはゆっくりと出発し始めた船かもしれない。モチーフは、この後登場するハーレー歌などの民謡などは一切なく、「南後船」の楽曲を構成する最小単位の半音関係2のつながり、それだけが少しずつ展開していく。という作曲らしいことしている。もう一つ隠れているのは、黒潮である。12年前に、大重潤一郎監督映画「久高オデッセイ」の音楽をやったときに、監督はよく、黒潮!と言っていた。それで私がイメージした黒潮音楽は、結局映画には使われなかったが、黒潮なんてまだまだ自分には大きすぎるテーマで作りきれなかった思いもあり、いつしか挑戦したいとずっと心のどこかにはあったので、このときのアイデアも盛り込み、かつ濃密な海、黒潮をイメージした音楽になっている。

夜が明け、船が揃い、「船出じゃー」と意気揚々と華々しくtuttiで糸満ハーレー歌が歌いあげられ出発。荒波にも揉まれつつ、一日目の航海は順風満帆に進み夜が更けていく。

糸満ハーレーは、旧暦の5月4日に行われる大漁と航海安全を祈願する祭りである。糸満ハーレー歌では、王様への感謝と、大漁豊年、船の美しさ、海人の安全祈願が歌われる、まさに「南後船」の幕開けに相応しい。西村地域の歌詞を2番まで歌う。

「糸満ハーレー歌」(西村)
1.  首里御天加那志 百々とうまでぃ
末までぃヨー サー ヘンサー ヘンサーヨ
サー御万人ぬ間切ヨ
サー拝でぃしでぃーら
サー ヘンサー ヘンサーヨ
(1.  首里城にいらっしゃる王様の世は、 百々十まで末々まで(千年も万年も)、 続いていただきそのことを、我々国民もお祈りしましょう)

2.  でぃき城按司ぬ 乗いみせる
御船ヨー サー ヘンサー ヘンサーヨ
サー世果報待ち受きてぃヨ
サー走ぬ美らさ
サー ヘンサー ヘンサーヨ
(2.  でぃき城按司(南山最後の王 他魯毎)に、 乗せられて御船は大漁豊年を、 待ち受けているようで、何とその走りの美しいことよ)

(歌詞参照サイト:糸満ハーレー歌大会)

「南後船」では、海と船と獅子舞と相撲のイメージが重なっている。次のシーンは獅子舞の夢だ。波に揺られて進んでいく船に、沖縄の獅子舞を重ね合わせている。きっと船には、獅子丸という名前がついている。相撲太鼓の一番太鼓のリズムが、規則的ではない波のうねりのように、ティンバレス風にスネダドラムとティンパニのダブルで派手に鳴らされ、それにのって、沖縄ではお馴染みの獅子舞の音楽が奏でられる。各地の獅子舞で演奏される音楽であるが、勢理客(じっちゃく)の獅子舞で聞いた、途中変拍子を感じる独特のメロディ。さらに、糸満ハーレー歌や、竹野相撲甚句の断片が次々と登場し、船旅の喜び、これから訪れる本土への予知夢として表現される。実際の演奏では、思った以上にぶっちぎりのスピードだったので、超高速船から見える島々や鳥など次々に現れては消えていくような情景が浮かんだ。

獅子舞の音楽はループ音楽なので、糸満ハーレー歌の最後のフレーズをつけてこのシーンは終わる。一番太鼓は、呼び出しさんが演奏するのとは、まるっきり同じではなく一番太鼓の特徴あるリズムを獅子舞のメロディに合わせ、スタイルを崩さずに進行し、糸満ハーレー歌の最後と、一番太鼓のコーダの最後を合わせると、ぴったりとハマる。一番太鼓だけでも終わった感のあるリズムではあるが、メロディが重なると、はっきりとばっちり音楽が終わった感じがでる。しかもとてもカッコよくしまる。今まで他の作曲作品でも、一番太鼓のリズムでたくさん曲は作ったが(リズムをメロディにしたり、ピアノ曲にしたり)、今回、太鼓自体と他の音楽を重ねてみて気づいたのは、ひょっとして相撲太鼓には、かつては太鼓以外の音楽がついてたんじゃないかしら?もしくは、ある音楽に付けてたリズムだけが相撲太鼓として残ってるんじゃないかしら?ということだそう考えると、一番太鼓だけでも、練り上げられた楽曲構成になっている理由が見えてくる気がする。

次は、竹野相撲甚句の前唄の旋律が、沖縄風旋律にしたのとポリフォニックに何層にも重なった、朝靄のようなシーン。いよいよ本土が見えてきた。前唄ポリフォニーは『オペラ双葉山〜竹野の段』もそうであったが、JACSHAがワークショップやコンサートなどで登場するときのオープニングの定番にもなっているJACSHA三名が鍵盤ハーモニカで思い思いに前唄を奏でて登場する。それにはなかった、「南後船」の初めての試みとしては、前唄の沖縄風旋律を重ねたことだ。JACSHAのワークショップで、竹野相撲甚句と大相撲の相撲甚句を重ねて歌ってみたことがある。同じ調号両方を同時に歌うと、ちょうど完全五度もしくは四度でキレイにハモることができるのだ。なので、このシーンでも、両方の五度関係でポリフォニーになっているのに加え、試しに三度でハモって旋律を作ってみると、なんと沖縄風になった。琉球音階でもあるし、節回しも沖縄音楽らしくなる。なので、この3つの旋律をポリフォニーでなく、同時に演奏すると、三和音になり、沖縄風は真ん中のパートということになる。このことから気づいたのは、世界にはいろいろなモード(〇〇音階、〇〇律、〇〇旋法)があるが、それらはひょっとしてハモりパートが独立したものなのかも?ということだ。「南後船」は、沖縄にも相撲甚句があった、というファンタジーであるが、このことから、もしや事実なのではないかと自分でも錯覚に陥るほどで、この後の展開にも大きく影響する。

朝靄が明けて、いよいよ上陸。ここからは陸地の音楽だ。まずは花嫁行列である。19曲伝わっている竹野相撲甚句の1曲「一人娘」の本唄途中まで歌われる。竹野では「一人娘」というタイトルではなく、前唄の歌い出し「竹野のやー」呼ばれるのだが、非常に似たような歌詞の相撲甚句が全国にあり「一人娘」や「嫁入り」と言われるので、竹野バージョンの「一人娘」としてここでもそう呼ぶことにする。それくらい相撲甚句では定番の1曲であるのだが、私が調べられる限りで、但馬地方であるこの竹野や養父の「一人娘」にのみ、嫁入り道具の一つとして「琉球包み」が登場するのである。これでますます本当に「南後船」で嫁入り道具を運んだのではないかと、物語のイメージが膨らんでいった。相撲甚句は、沖縄の「ナークニー」や「とぅばらーま」のように、同じメロディに思い思いの歌詞をのせて歌われるものだ。なので、どの相撲甚句もメロディは同じ。ただ、歌詞の量は決まっていない。本唄は七五調の歌詞一行を1パターンとし、竹野相撲甚句は4パターン、大相撲スタイルでは5パターンのメロディの繰り返しであるが、4, 5行を1区切りにせずとも、何行で終わってもよく、最後の歌詞でコーダのメロディをつけて歌えば相撲甚句は完結できる。なので、メロディパターンを覚えてしまえば、どんな七五調の歌詞がきても自動的に歌い続けられるのであるが、竹野相撲甚句「一人娘」はちょっと違う。スタンダードならば、1,2,3,4,1,2,3,4順に進んでいくのだが、以下のように、句あまりというのか、イレギュラーな進行で始まる。

1:嫁入りさせようとの 事決まり
2の上句:箪笥七棹
1の上句:長持八棹に
1:琉球包みが 三荷ある
2:枕屏風にゃ 蚊帳そえて
3:これ程持たせて 嫁るからにゃ
4:必ず去るなよ 去られなよ

(歌詞参照書籍:竹野相撲甚句)

「南後船」で歌われるのはここまでで、「一人娘」の歌詞はまだまだ続く。この後のパターンは、通常通り進んでいく。

大相撲やその他の地域に伝わる「一人娘」の当該場所の歌詞は、大体こうだ。

1:箪笥 長持 鋏み箱
2:あれこれ揃えて やるからにゃ
3:二度と戻るな 出てくるな

これに比べると、竹野では嫁入り道具が詳細で、イレギュラーに節付けされていることからも、「琉球包み」にもこだわりがあるのではないかと察する

もう一つ発見したのは、この詳細な道具は、全国に残る民謡「長持(ながもちうた)と共通していることだこれこそ、花嫁行列で歌われるお祝いの歌だ。長持とは道具を入れて運ぶ大きな箱。棹を通して担がれる。歌詞も似ているが、歌を聞いてみると、相撲甚句の前唄と同じ七七七五調でメロディよく似ている。佐賀箪笥長持唄では合いの手に「ハァーシコイシコイ」と入れるのが、相撲甚句の「ハァードスコイドスコイ」にも似て、長持唄と相撲甚句の繋がりがあるのではないかと思う。

「南後船」の「一人娘」は、このイレギュラーのメロディを、例のハモりによって得られた沖縄風旋律で歌われるのであるが、この歌三線の歌と、オーケストラによる元の竹野相撲甚句の旋律、または大相撲スタイルの旋律と交互に演奏される。そして、オーケストラのメロディは、首里赤田町で行われる行事、赤田みるくのウンケーの行列で演奏される、路次楽のサウンドをイメージし、オーボエやミュートしたトランペットがそれらしく奏でる。そこに付けられたリズムの合奏は、竹野相撲甚句ときの手拍子足拍子だ。これは、去年のレジデンスのときに、竹野相撲甚句のキーパーソンである與田政則さんから直々に教わったものを、さらに、竹野小学校の金管バトンクラブとオンラインワークショップをしたときに、子どもたちと演奏した合奏のアイデアが元になっている。金管バトンクラブのみんなとこれを演奏しながら野外でパレードをしたかったのであるが、コロナ禍の中で実現はできなかったので、その悔しい思いも込められている。

右右左左と一歩ずつ前進するときはピチカート、手拍子はコルレーニョとバルトークピチカートとタンブリン、右足を大きく上げるときは木管のクラスターとシンバル、右右左左と後進するときはアルコと、手拍子足拍子の振り付けを忘れないためにも各所で音色をかえた。これの繰り返し。ついでにメモとして、養父市の斎(いつき)神社の秋祭りでは、相撲甚句に合わせて四股を踏み踊り始めるということで、こちらもいつしか見てみたい。

行列が終わると沖縄大甚句。ここ、相撲観戦をしながら結婚式、という夢のようなシーンをイメージした。大甚句は相撲甚句の前唄のこと。竹野と大相撲の前唄は非常によく似ているが、大相撲スタイルのが倍くらいの長さがあり、ここでは大相撲の前唄を、例のハモりによって沖縄旋律に変えたメロディ。私の好きな琉球古典音楽の「述懐節」(しゅっけーぶし)の三線の手が違和感なく付けられるほど、ここでも前からあった古典音楽らしい節回しになることに驚く。たっぷり歌いあげる喜びの音楽だ。歌詞は沖縄の言葉で自作した。キーワードは「揃った」である。各民謡では、何かが揃ったことが、特別な喜びとして歌われる。特に、稲の花や実が揃って出てきた豊作の喜びと、その歌ならではの何かが揃う。

例えば:

竹野相撲甚句の前唄
「揃うたやー 揃いましたよ どなたも揃うたよ」

大相撲の相撲甚句の前唄
「揃うたやー 揃いました 相撲取り衆が 稲の出穂より なおよく揃うた」

花笠音頭
「揃ろた揃ろたよ 笠踊り揃ろた 秋の出穂より まだ揃ろた」

沖縄の民謡にも、揃う歌がある。

稲摺り節(いにしりぶし)
「我した美童ぬ 揃ゆてぃ 揃ゆてぃからや」
(わしたみやらびぬ するゆてぃ するゆてぃからや)

稲のほかに、相撲取りや花笠、美童(みやらび乙女が揃うのである。では、沖縄大甚句では何が揃うのかというと、船と骨だ。沖縄では船も骨も「ふに」という。船の作品なので、船が揃った喜びと骨を掛けあわせている。なぜ骨なのか?相撲では、四股を踏む時、相手に力を伝える時に、足の先、膝、手や腕の骨の方向が揃うことが、体の使い方として非常に重要なためだ。稲については、稲摺り節の続きの歌詞、稲の軸の美しさを引用している。要するにここでいよいよ双葉山の登場なのである。骨の方向が綺麗に揃い、体の軸が通って、どこにも力みのない美しい佇まいの描写である。そうしてできた「沖縄大甚句」の歌詞は以下だ。大分県宇佐市生まれの双葉山は海が身近にあり、父親が船乗りだったため、一緒に船に乗っていた

「沖縄大甚句」
するてぃヤー するてぃからや
むるふにするてぃ
くがにヤー 軸たてぃてぃ
うはつ上ぎら

(訳:すべての船(骨)が揃ったので、黄金色の稲穂の軸をまっすぐ立てて、神様に捧げましょう)

この大甚句に合わせて、ヴァイオリンが大胆にダイナミックに奏でる音楽は、一番太鼓のリズムをモチーフにし、相撲の白熱した取組を表現している

続いて、双葉山甚句が歌われる。シーンとしては結婚式の宴会のイメージだ。大相撲の相撲甚句の音楽を歌三線とオーケストラの共演で演奏する。前唄は、オリジナルのイメージとはうってかわって、早弾きのカチャーシー風に奏でられる。島尻天川節や嘉手久節のように、長く伸びやかに歌い上げられる前唄と早弾きがマッチすると思ったからだ。それらの曲のように、三線が一回落ちたら分からなくなる、あの独特な難儀さをわざわざ作り出している。本唄のメロディは沖縄風にはせず、伝統の相撲甚句である。本唄の後に歌われるはやし唄は、伝統的には節が付かない、語りのように囃される部分だが、竹野相撲甚句らしい節を創作した。プログラムノートにあるように、相撲甚句を三線伴奏で歌うようになったのは、まず私である去年の4月、高砂部屋の力士・朝乃山大関昇進伝達式記念として勝手に作った相撲甚句「相撲を愛し」に三線を付けて楽しみとして演奏しているものがあり(→演奏動画)、それに歌詞を新しく創作して付けたものが、本作の「双葉山甚句」だ。

四股、相撲甚句、双葉山のことを教わっているJACSHAの師匠、一ノ矢さんこと松田哲博氏(元大相撲力士・一ノ矢、元高砂部屋マネージャー、徳之島出身、琉球大学物理学部卒業)が、雑誌の連載「松田哲博の相撲道」(きらめきプラス)、「四股探求の旅」(月刊武道)に書かれている双葉山に関する記述、「わが回想の双葉山定次」(小阪秀二著)、「JACSHAフォーラム2020」を参照して創作した甚句である。双葉山のしなやかな相撲、脱力、土俵上での佇まい、昭和17年夏場所千秋楽で大関安藝ノ海にうっちゃりで勝った大一番、全く勝てない双葉山に対して、今日こそはと作戦を練って闘士を燃やして望んだ笠置山(かさぎやま)が、仕切りを繰り返すうちに、双葉山の無心で淡々とした仕切りに吸い込まれ、気持ちが浄化されていった無我の境地体験を、船や海の様子に例えた。また、実際にあった、沖縄からの江戸上りのを歌った、「上り口説」(ぬぶいくどぅち)の歌詞も引用している。沖縄の言葉で、チンチクは肩甲骨のあたり、ガマクは腰のことを指す。

「双葉山甚句」
ハァーエー
ハァー ドスコイ ドスコイ
脇を開いて かいなを返せば ヨー
ハァー ドスコイ ドスコイ

ハァー
鐘や太鼓も たんたんと
風やまともに うまひつじ
腹の奥から ゆるやかに
耳も毛穴も ひらかれた

自由奔放 千鳥足
押されて揺られて 心柱
波打ちぎわに 寄り立てる
沖のそばまで 呼び戻し
水もたまらず うっちゃれば

宇宙と チンチクガマクが ヨーホホホイ
ハァー つながった ヨー

ハァー
柳しなるや 二枚腰
天衣無縫の 立ち姿
潮が満ちれば 吸い込まれ
それがなんとも いい気持ち
心澄ませば 双葉山 双葉山
ハァー ドスコイ ドスコイ

 

賑やかに宴会が終わった後は、エンディング。糸満ハーレー歌のメロディが、弦楽アンサンブルでドラマチックに奏でられる。今までのことは夢だったのかなぁという思いと、次の旅路が始まるシーン。最後の最後に、相撲の(き、拍子木)のリズム、チョンチョンチョンチョン・・・・・チョーン、チョン、チョン、がクラベスで打たれて終わる。相撲はで始まりで終わる。南後船も一旦幕が閉じ、また幕が開けるのである。

『オペラ双葉山〜竹野の段』に続き、一生涯かけて全国各地で〇〇の段が展開される予定であるが、沖縄の段の夢もそう遠くないかもしれない。その時は、南後船の再演とともに、また新たな楽曲が創作され上演されるだろう

ところで、日本センチュリー交響楽団が企画している「ハイドン大學」にJACSHA野村と講師として出演したことがある。「ハイドンの交響曲を相撲を通して分析してみる」という画期的なテーマであった。翌月に演奏する3曲の交響曲を、相撲の観点で分析してみると、相撲とハイドンの共通点は想像以上に次々と発見できたのが驚きで、お客さん達もなるほどと聞いてくれた。面白いのでそれ以来、クラシック音楽を聞くときは相撲をイメージする癖がついている。そんな中、「南後船」の次に、下里豪志さんが演奏されたショパンのピアノ協奏曲第1番の二楽章が、双葉山のイメージとしてジワ〜っと体に染みこんでくるのであった。すっかり抜けなくなり、演奏会の翌日から毎日双葉山を思っては二楽章を練習し続けている。力んでしまっては絶対に奏でられない、風に拭かれるがまましなやかに揺れ動くパッセージ。「南後船」の演奏が素晴らしかったのは言うまでもないが、双葉山と二楽章の出会いは、琉球交響楽団第39回定期演奏会からいただいた宝物である。(2021.3.13 鶴見幸代)

 

「南後船」初演直後のカーテンコール  (舞台中央に鶴見)
歌三線の島袋奈美さん、棚原健太さんと鶴見。本番直前の舞台袖にて。三線で相撲甚句をカッコよくバリバリ歌えるのは、私たち三人のみ。

静寂から生まれる阿吽の呼吸(月刊武道)松田哲博

ジャクシャが大変お世話になっている、高砂部屋マネージャーの松田哲博氏(元・一ノ矢)が、月刊武道に連載「四股探求の旅」を寄稿されています。そして、月刊武道10月号の、第13回「静寂から生まれる阿吽の呼吸」の中で、ジャクシャとネッテイ相撲の静寂についてを書いてくださっております。

大相撲を聞く 2018年11月3日 野村誠

大相撲を聞く

 

作曲家の耳には、自然に大相撲はオペラ(総合芸術)として聞こえるのだが、そう言われてピンとくる人が決して多くないようなので、一度、作曲家の耳を通して、大相撲を聞いてみよう。そもそも、大相撲は、朝8時半から夕方18時まで、9時間半で150番以上の取組が行われるわけだが、競技としての相撲の時間は平均10秒程度である。ということは、競技としての相撲の時間は、1時間にも満たない。つまり、9時間半の時間の大半は、競技以外のことが行われているわけだ。そうした競技以外の時間も含めて、大相撲の音に耳を傾けてみることにしよう。

 

1 名前を聞く

 

大相撲は、声楽を楽しむ場だ。まずは、呼出し。最初に、土俵中央で、呼出しさんが、東西の力士のしこ名を呼び上げる。東の力士を呼び上げる時は、東を向いて、西の力士の時は西を向いて呼び上げ、その途中で声を出しながら180度回転するので、空間的にも音場が移動していくので面白い。これは、非常に力強い大きな声の歌だ。オペラで言えば、アリアと呼ばれる独唱曲に近いだろう。日本音楽で言えば、声明と呼ばれる僧侶の読経の声質に近いかもしれない。音階もはっきりしていて、いわゆる陰旋法と呼ばれる邦楽独特の音階だ。音域は、呼出しさんによって違う。テノール歌手もいれば、バリトンやバスの歌手もいるように、高い声が魅力の呼出しさんもいれば、低く太く聞かせる呼出しさんもいる。

イギリス人の作曲家ヒュー・ナンキヴェルが大相撲を鑑賞した時の感想が、「取組の前に歌手が出てきて歌うのが、凄かった」だったが、これは、呼出しさんの呼び上げのことである。力士は、自分の名前が朗々と大声で歌い上げられるのを聞いてから土俵にあがるのだ。

これで歌による名前の紹介が終わりかと思うと、大間違いだ。まだまだ続く、名前ソング。今度は行司が、力士のしこ名を呼ぶ。こちらの発声は行司独特の発声で、呼出しのストレートな声質とは違い、ややこもったような声音だ。呼出しのように歌いあげるのではなく、歌と語りの中間で、オペラで言えば、レチタティーボ(叙述などに用いられる朗読調の歌唱)とでも言ったらいいのかもしれない。呼出しの声が僧侶の声明に近いとすれば、行司の声は、神社の神主の祝詞の声に近いかもしれない。行司の音の高低の節回しは決まっているようで、最後の音を伸ばしながら下がってくる(ポルタメント)のがポイント。

この微妙なポルタメントの下がり方が、行司さんが違えば、もちろん違う味わいになるので、それを聞き比べていくのも楽しいのだが、これがテレビ放送のある上位力士の時間帯(夕方)になると、観客席も超満員になり、力士に声援が飛び交い過ぎて、行司の微妙な声色の変化まで聞き取れないこともある。声援に行司の声がマスキングされるのだ。だから、行司の声を楽しむためには、観客がまだ少ない時間帯から鑑賞することがお薦めだ。もちろん、早い時間帯になればなるほど、若手の行司さんが登場するのだが、そうした中に、キラリと光る声の行司さんが何人もいる。そして、こうして、耳が行司の声を聞くのに慣れてくれば、大観衆の声援の中でも、行司の微妙な声づかいが聞こえてくるわけだ。

大相撲が丁寧なのは、これで力士のしこ名の紹介が終わらないことだ。さらに、場内アナウンスで、力士の名前が紹介される。こちらは、全く歌の要素はなく、通常の話し声で紹介される(ちなみに、この声も、土俵上にいるのとは別の行司さんが担当している)。

まず、力士の名前を紹介されるだけで、3種類の全く違った発声法(①歌声、②歌と語りの中間、③通常の話し言葉)で聞くことができる。ちなみに、力士のしこ名は何文字というルールはないが、呼び上げのメロディーは、5文字でぴったりなので、多くの力士の名前は5文字前後になっている。

 

2 ボディパーカッションを聞く

 

力士が土俵に上がると、柏手を打ち、四股を踏む。まず、この柏手、力一杯のフォルテッシモの力士もいれば、軽くメゾピアノで叩く力士もいる。まず、柏手の打ち方一つでも、力士一人ひとりの個性が聞こえてくる。

しかも、この柏手が東西に分かれてステレオで聞こえてくるので、なお面白い。柏手が東西の力士で、同じタイミングで鳴らされる時もあるし、東西の力士が微妙にタイミングをずらして打つ時もある。相手と呼吸を合わせる派と、自分のペースを貫く派とでは、東西の柏手のアンサンブルは全然違ってくる。例えば、お互いがテンポを合わせれば、それはユニゾンになる。しかし、お互いがペースを合わせようとせずに、二人が完全にマイペースに進む時などは、東西が完全にずれ合い、ホケット(しゃっくりのようなリズムを意味する音楽用語)になることもある。この柏手と四股のタイミングの組み合わせも、注意して聞くと、千差万別で面白いのだ。

また、力士のボディパーカッションも要注目だ。多くの力士が、取組前に自分の体をパチパチ叩くことがある。おそらく、取組前に、自分に気合いを入れるためだったり、緊張を解すためだったり、血行をよくするためだったり、げんかつぎだったり、様々な理由があるのだろう。鍛えられた肉体を力強く叩く音色は、一聴に値する。まわしを叩く、お尻を叩く、腕や顔を叩く、人によって、本当に色々なところを叩いている。この体を叩く音を、二人の合奏だと思って聴くと、二人の力士の間で、シンクロする時もあれば、お互いにずれ合う時もある。そして、制限時間前は、こうしたボディパーカッションに加えて、観客の声援も最高潮に達する。

 

3 沈黙を聞く

 

ここで、会場全体が高揚したオーケストラになった直後、行司が「手をついて、まったなし」などの声をかけ、突如、会場全体が息をのみ、立合いに集中する。相撲は1、2秒で勝負がつくこともあり、長い相撲でも30秒を越えることは少ない。だから、立合いに力士も行司も観衆も集中する。そして、この立合いの瞬間は、誰も声を発しない。だから、沈黙になる。この瞬間だけは、音がなくなるのだ。

草相撲などでは、行司が「はっけよい、のこった」と合図をして、相撲を始めることがあるが、大相撲では、開始の合図は誰も出さない。ただ、東西の力士と行司の三者で黙って息を合わせるのだけなのだ。この沈黙は、相撲の醍醐味で、大相撲という総合芸術の中の最も美しい静寂だと思う。

 

4 行司の声を聞く

 

静寂の後、取組が始まる。激しいぶつかり合いをする両力士の間で、「のこった、のこった」と声を出し続けているのが、行司だ。この行司の声は、相撲に伴奏する音楽で、相撲のテンションを音で表現するものと言えるかもしれない。この「のこった」の連呼は、決して同じテンポで単調に繰り返されるのではなく、時に、微妙な間(フェルマータ)があったり、加速したり(アッチェレランド)する。時には、「のーーー、こったの、こったの」と聞こえることもあるし、「のこっ、たのこっ、たのこっ、たのこった」と聞こえてくることもある。「こっ」の部分にアクセントがついている行司もいるし、「た」にアクセントがつく行司もいる。この「のこった」を、どんなニュアンスで、どんなフレージングするかに、行司一人ひとりの個性があり、その違いを聞き比べるのも大相撲の楽しみの一つになっている。

ずっと、「のこった」だけが続くかと言えば、そうではない。取組が硬直状態になると、行司は「よい、はっけよーい、よい」という言葉を繰り返し、展開を促したりする。この「よい、はっけよーい、よい」は、相撲が硬直状態のため観客が静かで、比較的よく聞こえてくる。「のこった、のこった」の方は、大技が出る度に、観衆が一斉にどよめくので、実際の音楽としては、行司の通奏低音の「のこったのこった」が鳴り続ける上に、時々大観衆のどよめきがオーケストラのトゥッティのように加わるように聞こえる。この時、力士は、大観衆というオーケストラを指揮する指揮者に見えるのだ。

勝負がつくと、行司が「勝負あり」と言うが、この声は大観衆の歓声にかき消されることが多い。その後、勝ち力士の名前を行司が、歌声と語りの中間の(レチタティーボ的な)声で呼び、その後、場内アナウンスで、決まり手と勝ち力士の名前が放送される。すると、次の取組の力士の名前を呼出しが呼び上げ、以下同様につづいていく。

 

 

5 柝(拍子木)を聞く

 

ここまでは、声や体から出る音を聞いてきたが、相撲には、楽器が奏でる音もある。その代表的なものが、柝(=拍子木)である。柝は、ここぞという要所に打ち鳴らされる。柝の甲高い乾いた音は、国技館全体に鳴り響き、その音色は、たった一音で空間を神聖化するほどの力を持つ。硬質な木の楽器、例えばシロフォンと呼ばれる木琴などは、硬質なマレットで叩くと耳に痛いので、しばしば毛糸をまかれた柔らかいマレットで叩いて音色を調整する。逆に、敢えて、硬い音色が欲しい時に、木のマレットで叩く。硬い木の鍵盤を、硬い木のマレットで叩けば、それは硬い音がする。ところが、この柝という楽器は、硬い木を硬い木で鳴らすのだから、格別に硬い音がする。しかも、シロフォンの場合は、球状のマレットで叩くから、一点で鳴るのだが、柝の場合は、面全体で打ち鳴らされるので、そのパワーは絶大だ。つまり、力士が立合いの一瞬に渾身のパワーを込めて当たるように、渾身の一音を鳴らすのだ。しかし、これが力んでしまっては、音の振動が止まってしまう。力みなく、力を抜いて、渾身の一撃を鳴らす。その一音によって、場が清められる。だから、柝はここぞという時に、登場するのであって、滅多矢鱈とは登場しない。そんな登場回数の限定された柝の音色を味わうことは、大相撲においても特別な音体験だ。節目節目に鳴るので、柝が打ち鳴らされる瞬間に、トイレなどに行っては勿体ないが、大相撲は朝8時の朝太鼓から夕方18時半のはね太鼓が終了するまでの10時間半もある長大なパフォーマンスなのに、中入りという休憩が一度あるだけだ。だから、どこでトイレに行くかの判断は、かなり難しい。

さて、この柝の音が最も活躍する特別な時間が2回だけある。一つが、十両土俵入りの時間。もう一つが幕内土俵入り〜横綱土俵入りの時間である。これら土俵入りでは、化粧回しをつけた力士が花道から入場して来る間、一定間隔(数秒程度)で柝が打ち鳴らされ続ける。特に、十両土俵入りと幕内土俵入りは、入場する力士の数が多いので、柝の鳴らされる時間も長く、思う存分に楽しめる。さらには、花道を退場していく時にも、柝は鳴り続け、最後には加速(アッチェレランド)していき、る。

最もドラマチックなのが、幕内土俵入りや十両土俵入りで、東から西に移り変わる瞬間で、この時に、少しだけ、東の呼出しの柝の音色に、西の呼出しの柝の音色が重なるのだ。そして、二つの柝のピッチが若干違っていたりして、例えば、東の柝がA5(高いラ)より少し高い音で、西の柝が B♭5(高いシ♭)より少し低い音だったりすると、この音が重なり合う瞬間は、摩訶不思議な微分音(半音よりも狭い音程のこと)の掛け合いになるのだ。

 

6 観客参加の声を聞く

 

通常、大相撲では観客は自由に声援を送っている。しかし、観客参加型で、観客が一斉に声を出すことが暗黙のルールで決まっているところがある。それが、横綱土俵入りと、弓取り式である。相撲では、土俵にあがった力士は、必ず四股を踏む。しかし、通常、力士が四股を踏んでも、観客はそれに合わせて声を出すことはない。それは、これらの四股が土俵の東西に分かれて踏まれるからである。ところが、力士が土俵中央に立ち、正面を向いて四股を踏む時、観客は足が踏み下ろされると同時に、「ヨイショ」と一斉に叫ぶ。1万人以上の声が一斉に発する声は、一聴に値する迫力があり、力士の動きと声が見事に合わされば感動的でもある。

この土俵中央で四股が踏まれるのは、横綱土俵入りの時と、結びの一番の後で行われる弓取り式のみである。結びの一番が終わると席を立って帰って行く人もいるが、これは勿体ない。その後の弓取り式の「よいしょ」に参加するチャンスを逃すのは惜しいし、弓取り式の最中に会場がザワザワするのは残念なのだ。

 

7 親方の声を聞く

 

大相撲を鑑賞すると、呼出しと行司の声を交互に次々に聞き続けることになる。それ以外の声を聞くチャンスが、勝負審判の審判長を務める親方の声だ。勝負の判定が微妙と勝負審判の親方が判断した時に、「物言い」が起こり、親方たちが協議する。そして、協議の後に、正面の審判長である親方が、マイクで協議の結果を報告する。このマイクパフォーマンスも慣習的に様式化されていて、必ず、「ただいまのー、きょーぎについてー、ごせつめい、もうしあげます。ぎょーじぐんばいはーーー‥‥」と言った言い回しで、協議の内容を伝えるのだ。唯一、親方の声が聞けるチャンスで、熟練した親方の協議説明は、なかなか聞き応えがある。

 

8 太鼓を聞く

(つづく)

ネッテイ相撲 2018年10月24日 野村誠

ネッテイ相撲

 

1 セミナー「相撲と芸術」

 

「ネッテイ相撲」の存在を知ったのは、2014年だった。ぼくは、京都の東山アーティストプレイスメントサービス(HAPS)で行われるOUR SCHOOLの講座のために3回シリーズの講座を企画することになった。作曲家であるから音楽や作曲に関する講座を企画するのが自然だが、自分自身が一番学びたいことを講座のテーマにしようと考えた結果、「相撲と芸術」というタイトルにした。残念ながら、予算が潤沢にあるわけではないので、第3回のみ、講師として元力士の一ノ矢さんをお招きすることになり、1回目、2回目は、ゲストなしで、ぼくが講師を務めることになった。

とは言うものの、ぼくは作曲家であり、音楽の講師は務められるが、相撲に関しては単なる愛好家。相撲の講師など務まるはずがない。JACSHA(日本相撲聞芸術作曲家協議会)としての活動もようやく始動したばかりで、まだまだ活動実績が少なかった。つまり、自分一人で2回も「相撲と芸術」というセミナーを開催するのは、重荷で不安だったのだ。

そこで、講座の準備として、ぼくは相撲に関する本を片っ端から読んだ。とにかく、知識を増やして、自分を安心させたかったのである。20冊くらいは読んだと思う。大相撲の基礎知識や裏話に関する本も読んだし、四股など身体トレーニングに関する本も読んだ。また、相撲の歴史を調べていくと、「相撲の歴史」(新田一郎著)という名著に出会う。神話の時代から始まり、日本書紀に登場する相撲、平安時代に朝廷で行われていた相撲節会、鎌倉幕府や戦国大名など武士に使え、江戸幕府に認可され、横綱や土俵など新たな発明もあり、近現代で現在の大相撲の形態になっていくまで、相撲は時代とともに、大いに変化し続けてきた。平安時代の「相撲節会」と現代の大相撲は、同じ相撲でも、随分と違うようだ。

また、日本全国に神事芸能としての相撲が伝承されていることも知った。特に興味を抱いたのが、山田知子著「相撲の民俗史」(東京書籍)の中に出てくる様々な相撲神事や芸能。ぼくが知っている大相撲とは、似て非なるものが多数あり、「これも相撲なのか!」と相撲という概念が拡張される体験だった。本の中に出てくる神事を、次々に、インターネットで動画検索し、その都度、驚愕した。なんなんだ、これは!相撲という名前がついた摩訶不思議な儀式が、日本全国、各地に伝承されているではないか。

その中の一つ、「ネッテイ相撲」の動画は、殊更、ぼくの音楽的な興味を引きつけた。音楽的と言っても、楽器は一切登場しないのだが。ただただ、二人の男が向かい合い、足踏みをしながら、ヨイ、ヨイ、ヨイと声を発する。そして、長い沈黙がある。時々、力強く斜め前に足を踏み出し、ヨイと叫ぶ。掛け声は、全て「ヨイ」。行為はシンプル。ほぼ足を踏むだけと言っていい。ぼくは、この不思議な間、不思議な沈黙に、とりわけ魅せられた。そして、いつか実際に「ネッテイ相撲」を見てみたいと思った。

 

2 水谷神社を訪ねる

 

それから4年の月日が流れた。ぼくらJACSHA(日本相撲聞芸術作曲家協議会)は、城崎国際アートセンター(兵庫県豊岡市)で「オペラ双葉山」を創作するための滞在制作をしていた。そして、幸運にも城崎を拠点とするダンス普及団体「ダンストーク」の協力を得て、「ねっていずもう保存会」の方々との交流が始まったのだ。

ネッテイ相撲の初体験に心躍らせ、兵庫県養父市奥米地の水谷神社に車で向かったのは、2018年10月8日のことだ。途中の道が、直前の台風の影響で通行止めになっており、別のルートで向かうことになる。道の駅でランチを済ませ、地元産の野菜やお米を購入して後、山をグングン上っていく。ネッテイ相撲の村は、清らかな水の小川が流れ、5−6月には蛍が多く飛び交うと言う。「ネッテイ相撲」を知らなければ、ぼくは生涯この美しき村を訪ねることはなかっただろう。

車を降りる。ここにあるのは、自然の美しさだけでなく平和な静寂だ、と直感する。近くに車が行き交う通りがないし、最寄りの国道からのノイズも山々でマスキングされる。車の通行音が聞こえてこないのが、静けさを感じた理由だろう。もちろん、騒音計で数値を測定したわけでもないし、環境音を録音して調査したわけでもない。ただ、ぼくの耳の記憶を辿ると、そんな音場だった。ぼくの耳は、確かに喜んでいたのだ。

水谷神社に向かう緩やかな坂道、秋祭りの幟。神社の入口の灯籠の歪みの美しさ、そして、土俵。それは、とっても澄んだ土俵だった。それをぼくは、安易に「神聖な」などという言葉では形容したくない。なぜならば、その感じは、神なのか人なのか、聖なのか俗なのか、そんなことは、分からない。ただただ、この土俵は、静かに澄んだ気が漂うのだ。幸せそうに眠っている赤ん坊のような表情をした土俵だった。ただし、この土俵では、ネッテイ相撲は行われない。ここは、神事の後に奉納される子ども相撲大会の会場だ。

この澄んだ土俵を脇目に、急な石段を上る。腰の曲がったおばあちゃんが、杖を使って、一歩一歩上っている。お年寄りにはきつい階段だが、それでも、頑張って上っている。それくらい、村人にとって、この祭りは欠かせない大切な神事なのだろう。

神主さんの祝詞に始まり、お供えが神殿に供えられる。自治会の会長さんや、老人会の代表の方などが、次々に参拝し、2拝の後に2拍手する時に、その場にいる他の人々が、一斉に2拍手する。パン、パン。この2拍手の合奏に、ぼくは、どきっとする。まるで、指揮者の合図で全員が合わせたような見事なアンサンブル。

その後、本殿の裏で、突然、着替えが始まり、下駄を履き、笹を手にした12人の男性がお参りをして、円形に集まる。下駄の上に裸足で立って、一斉に時計回りに、隣の下駄、隣の下駄と、よろつきながらも、回っていく。なんじゃこりゃ!まるで、レクリエーションのゲームのようだ。コミュニケーションのためにデザインされた遊戯のよう。大の大人が大真面目に、下駄の上を足を交差させたりして、時によろけながら、歩いて行く。この時の掛け声もヨイ、ヨイ、ヨイ、ヨイ。「ネッテイ相撲」とそっくりだ。そして、時折、笹を地面に打ち付けながら、「ホンヤラホ」という掛け声を全員で発する。「ホンヤラホ」は、初めて聞いた掛け声で、衝撃だった。こうして、「笹踊り」という謎めいた神事が終わり、いよいよ「ネッテイ相撲」になった。

 

 

3 ネッテイ相撲の実際

 

ついに夢にまで見たネッテイ相撲が始まった。武士風の裃を着用した男性二人が登場し、神主さんから刀を受け取る。本殿から数段階段を下りた苔の広がる広場があり、そこの直径2m程度のエリアだけに、砂が円形に敷かれている。ここがネッテイ相撲の舞台のようだ。土俵のように小高くなっているわけではなく、苔の映えた周囲と同一平面だ。

裃の二人の男性は、登場したかと思うと、さっと上着を脱ぎ、刀と上着を持って、階段までピョンピョンピョンと3歩跳ね、階段に刀と上着を置いてしまった。あ、これは、「武器を持っていません」ということを表現したのか、と瞬時に理解できた。例えば、大相撲では塵手水というのがあり、両手を広げて手の平を下にして、武器を持っていないことを示す。ネッテイ相撲の場合は、わざわざ刀を持って登場し、刀を置くということで、文字通り「武器を持っていない」ということを示したのだ。非核、非武装がなかなか実現できない現代を生きていると、こうした「武器を持っていない」という古来からのメッセージをどう受け止めて、どう現代に実現していったら良いのだろう、と思う。

ちなみに、このピョンピョンピョンという3回の跳躍は、一見コミカルで、まるで烏が跳ねているようだ。上賀茂神社の烏相撲でも、似たような動きがあるようなので、平安時代の「相撲節会」にあった動きが、伝承されたのかもしれない。

さらに、左手、右手で腰を擦る動きがあるが、これに至っては、どう解釈していいのか、ぼくには???である。こうした謎があることも、ワクワクを増大させる。

二人は円に戻り、いよいよネッテイ相撲が始まる。しかし、なかなか、最初の一歩が始まらない。二人の舞手は、神妙な表情で、まだ何もしていないのに、既に疲れ果てたかのようにも見える。重々しい沈黙の後、突然、ヨイ、ヨイ、ヨイと3歩の足踏みが行われる。姿勢は違うが、大地を踏みしめる行為は、相撲の四股に通じるものであり、ヘンバイとも呼ばれ、地鎮の行為に思える。

最初、ぼくは、この「ヨイヨイヨイ」という足踏みの行為に関心を抱いて見ていた。ところが、だんだん、その間にある沈黙の時間こそ表情豊かであると思えてきた。沈黙の時間の間は、重苦しくもあり、緊張感がある。舞手たちは何を思い、この儀式を行っているのだろう。

気がつくと、いつの間にか「ネッテイ相撲」はクライマックスを迎え、二人の力士は合体し、退場する。どこからともなく子どもたちが現れ、餅まきが行われ、その後、子ども相撲大会の時間になる。大人たちは、酒を飲み、平和な時間が続いた。秋祭りはこうして終わっていった。

 

4 24の沈黙

 

鑑賞するだけでは理解できないことが、実際にやってみると分かることがある。音楽も相撲も、やってみることで理解が深まることが多いので、まずは、実際に「ネッテイ相撲」をやってみることにした。

最初は、保存会の方々から、直々に「ネッテイ相撲」を伝授してもらった。一週間後(2018年10月14日)に開催した「ネッテイ相撲からダンスをつくろう!?」というワークショップでのこと。実際にやってみると、「ネッテイ相撲」は、思った以上に体力を使うし、集中力も使う。特に、沈黙して何もしない時間は、演じてみると、張りつめた緊張感がある。そして、この沈黙の間が、24回も登場する。ネッテイ相撲の音の要素を敢えて書き出すと、以下のようになる。ネッテイ相撲が、如何に反復する音楽であり、沈黙の多い音楽であるかが、よく分かると思う。

 

ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間

ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間

ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間

ヨイ       沈黙の間(観客は拍手)

 

ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間

ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間

ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間

ヨイ       沈黙の間(観客は拍手)

 

ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間

ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間

ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間

ヨイ       沈黙の間(観客は拍手)

 

ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間

ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間

ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間

ヨイ       沈黙の間(観客は拍手)

 

ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間

ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間

ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間

ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間(観客は拍手)

 

ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間

ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間

ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間

ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間(観客は拍手)

 

この24という数字を、ぼくは面白いと思った。笹踊りで12人の人が使う下駄の総数は24だ。バッハの「平均律クラヴィーア曲集」は24曲から成り立つし、ショパンやスクリャービンが書いた前奏曲集も24曲だ。24は、全ての長調、短調の合計の数である。バッハやショパンは24曲をセットにした。一方、「ネッテイ相撲」は、24の異なる沈黙をセットにしているのだ。

とりあえず、実践してみることで、何かが見えてくるかもしれない。ぼくらは、「ネッテイ相撲」の声をアクションを沈黙をなぞってみた。やればやるほど、この24回もある沈黙の間が独特であると感じた。24回もあるので、間延びすることが耐えられなくなり、ついつい先を急いでしまいたくなる。しかし、保存会の人の話では、どうやら、この沈黙で緊張感を途絶えさせないことこそ、ネッテイ相撲で最も重要であるらしい。保存会代表の足立さんも、間の重要性を熱く語って下さった一人だ。足立さん曰く、練習し過ぎると、ついつい早くなってしまうことがあるそうで、逆に、練習不足な時に、次が何かを考えながら進めると、しっかり間がとれてうまくできることもあるらしい。

その日から、ぼくたちは、様々な時と場所で、「ネッテイ相撲」を試みてみた。

 

5 相撲と音風景

 

竹野のビーチで「ネッテイ相撲」をやってみた。24回の沈黙の間では、波の音が聞こえてくる。玄武洞で「ネッテイ相撲」をやってみた。24回の沈黙の間に、水の音、電車の音、鳥の声など、様々な環境音が聞こえてくる。あっ、「ネッテイ相撲」をすると、聞くつもりがなくても、環境音が聞こえてくる。あ、「ネッテイ相撲」って、耳を開き音を聞くためのよくできた装置だ、と思った。

20世紀半ばに、アメリカの実験音楽の作曲家ジョン・ケージは、「4分33秒」という作品を発表した。この曲は、3楽章とも沈黙する音楽で、演奏家は一音も音を発しない。聴衆は、何もしない演奏家を目撃する。実際に聞こえてくるのは、その場の環境音のみで、それこそがケージの意図した音楽体験だ。「ネッテイ相撲」の沈黙の間の音楽体験は、ケージの「4分33秒」とそっくりではないか。

「4分33秒」で問題になるのが、3楽章の沈黙の開始と終わりをどのように表現するか、ということになる。3つの沈黙を分け隔てるために、初演時のピアニストだったデイヴィッド・テュードアは、ピアノの蓋を閉じることで、沈黙の開始を、ピアノの蓋を開けることで、沈黙の終了を表現した。つまり、沈黙をどのようにフレーミングするか、が大きな問題になってくる。

「ネッテイ相撲」では、沈黙のフレームを形づくるのが、緊張感を持って発せられる「ヨイヨイヨイ」という声と大地を踏みしめるアクションになる。このヨイヨイヨイの緊迫感が、沈黙のテンションを生み出し、集中力を持って周囲を聴くことを促す。

大相撲の中でも、こうした息を呑む沈黙はある。長い仕切りが終わり、「待ったなし」と行司のかけ声がかかり、手をついて両者が立ち合おうとする瞬間だ。満員御礼の国技館の大観衆のざわめきが一瞬にして静けさになり、誰もが息をのみ、突如、静寂が訪れる。ぼくは、この静寂がとても美しいと思っていた。

ところが、「ネッテイ相撲」を体験してみたことで、大相撲の立ち合いの沈黙について、違った状況が浮かび上がってくる。国技館ができる以前、大相撲は野外で開催されていた。二人の力士の気合いが最高潮に達して、立ち合おうとする瞬間、大観衆が息を呑むと、それは単なる沈黙ではなく、野外ならではの様々な環境音が聞こえてきたはずだ。鳥の鳴き声が聞こえたかもしれないし、遠くから町の生活音が聞こえてきたに違いない。春にウグイスのホーホケキョという声が聞こえてくる時間もあれば、真夏に、セミの大合唱が聞こえてくる時間帯もあったはずだ。朝から夕方まで相撲を鑑賞し続ければ、時間帯とともに、そうして聞こえてくる環境音も変容していくだろう。かつて大相撲の立ち合いの沈黙の間は、そうした環境を聞く時間であったかもしれない。そして、そうした環境音も含めての真の静寂が訪れる奇跡の一瞬に、両力士が立ち合う瞬間もあったに違いない。ネッテイ相撲の体験を通して、テレビ放送もなく、制限時間もなく、野外で開催されていた時代の大相撲の音風景を、想像する。ケージが「4分33秒」を発表する遥か昔、マリー・シェイファーが「サウンド・スケープ」を提唱する遥か昔から、相撲には、環境を聞く仕組みが盛り込まれていた。