大相撲を聞く 2018年11月3日 野村誠

大相撲を聞く

 

作曲家の耳には、自然に大相撲はオペラ(総合芸術)として聞こえるのだが、そう言われてピンとくる人が決して多くないようなので、一度、作曲家の耳を通して、大相撲を聞いてみよう。そもそも、大相撲は、朝8時半から夕方18時まで、9時間半で150番以上の取組が行われるわけだが、競技としての相撲の時間は平均10秒程度である。ということは、競技としての相撲の時間は、1時間にも満たない。つまり、9時間半の時間の大半は、競技以外のことが行われているわけだ。そうした競技以外の時間も含めて、大相撲の音に耳を傾けてみることにしよう。

 

1 名前を聞く

 

大相撲は、声楽を楽しむ場だ。まずは、呼出し。最初に、土俵中央で、呼出しさんが、東西の力士のしこ名を呼び上げる。東の力士を呼び上げる時は、東を向いて、西の力士の時は西を向いて呼び上げ、その途中で声を出しながら180度回転するので、空間的にも音場が移動していくので面白い。これは、非常に力強い大きな声の歌だ。オペラで言えば、アリアと呼ばれる独唱曲に近いだろう。日本音楽で言えば、声明と呼ばれる僧侶の読経の声質に近いかもしれない。音階もはっきりしていて、いわゆる陰旋法と呼ばれる邦楽独特の音階だ。音域は、呼出しさんによって違う。テノール歌手もいれば、バリトンやバスの歌手もいるように、高い声が魅力の呼出しさんもいれば、低く太く聞かせる呼出しさんもいる。

イギリス人の作曲家ヒュー・ナンキヴェルが大相撲を鑑賞した時の感想が、「取組の前に歌手が出てきて歌うのが、凄かった」だったが、これは、呼出しさんの呼び上げのことである。力士は、自分の名前が朗々と大声で歌い上げられるのを聞いてから土俵にあがるのだ。

これで歌による名前の紹介が終わりかと思うと、大間違いだ。まだまだ続く、名前ソング。今度は行司が、力士のしこ名を呼ぶ。こちらの発声は行司独特の発声で、呼出しのストレートな声質とは違い、ややこもったような声音だ。呼出しのように歌いあげるのではなく、歌と語りの中間で、オペラで言えば、レチタティーボ(叙述などに用いられる朗読調の歌唱)とでも言ったらいいのかもしれない。呼出しの声が僧侶の声明に近いとすれば、行司の声は、神社の神主の祝詞の声に近いかもしれない。行司の音の高低の節回しは決まっているようで、最後の音を伸ばしながら下がってくる(ポルタメント)のがポイント。

この微妙なポルタメントの下がり方が、行司さんが違えば、もちろん違う味わいになるので、それを聞き比べていくのも楽しいのだが、これがテレビ放送のある上位力士の時間帯(夕方)になると、観客席も超満員になり、力士に声援が飛び交い過ぎて、行司の微妙な声色の変化まで聞き取れないこともある。声援に行司の声がマスキングされるのだ。だから、行司の声を楽しむためには、観客がまだ少ない時間帯から鑑賞することがお薦めだ。もちろん、早い時間帯になればなるほど、若手の行司さんが登場するのだが、そうした中に、キラリと光る声の行司さんが何人もいる。そして、こうして、耳が行司の声を聞くのに慣れてくれば、大観衆の声援の中でも、行司の微妙な声づかいが聞こえてくるわけだ。

大相撲が丁寧なのは、これで力士のしこ名の紹介が終わらないことだ。さらに、場内アナウンスで、力士の名前が紹介される。こちらは、全く歌の要素はなく、通常の話し声で紹介される(ちなみに、この声も、土俵上にいるのとは別の行司さんが担当している)。

まず、力士の名前を紹介されるだけで、3種類の全く違った発声法(①歌声、②歌と語りの中間、③通常の話し言葉)で聞くことができる。ちなみに、力士のしこ名は何文字というルールはないが、呼び上げのメロディーは、5文字でぴったりなので、多くの力士の名前は5文字前後になっている。

 

2 ボディパーカッションを聞く

 

力士が土俵に上がると、柏手を打ち、四股を踏む。まず、この柏手、力一杯のフォルテッシモの力士もいれば、軽くメゾピアノで叩く力士もいる。まず、柏手の打ち方一つでも、力士一人ひとりの個性が聞こえてくる。

しかも、この柏手が東西に分かれてステレオで聞こえてくるので、なお面白い。柏手が東西の力士で、同じタイミングで鳴らされる時もあるし、東西の力士が微妙にタイミングをずらして打つ時もある。相手と呼吸を合わせる派と、自分のペースを貫く派とでは、東西の柏手のアンサンブルは全然違ってくる。例えば、お互いがテンポを合わせれば、それはユニゾンになる。しかし、お互いがペースを合わせようとせずに、二人が完全にマイペースに進む時などは、東西が完全にずれ合い、ホケット(しゃっくりのようなリズムを意味する音楽用語)になることもある。この柏手と四股のタイミングの組み合わせも、注意して聞くと、千差万別で面白いのだ。

また、力士のボディパーカッションも要注目だ。多くの力士が、取組前に自分の体をパチパチ叩くことがある。おそらく、取組前に、自分に気合いを入れるためだったり、緊張を解すためだったり、血行をよくするためだったり、げんかつぎだったり、様々な理由があるのだろう。鍛えられた肉体を力強く叩く音色は、一聴に値する。まわしを叩く、お尻を叩く、腕や顔を叩く、人によって、本当に色々なところを叩いている。この体を叩く音を、二人の合奏だと思って聴くと、二人の力士の間で、シンクロする時もあれば、お互いにずれ合う時もある。そして、制限時間前は、こうしたボディパーカッションに加えて、観客の声援も最高潮に達する。

 

3 沈黙を聞く

 

ここで、会場全体が高揚したオーケストラになった直後、行司が「手をついて、まったなし」などの声をかけ、突如、会場全体が息をのみ、立合いに集中する。相撲は1、2秒で勝負がつくこともあり、長い相撲でも30秒を越えることは少ない。だから、立合いに力士も行司も観衆も集中する。そして、この立合いの瞬間は、誰も声を発しない。だから、沈黙になる。この瞬間だけは、音がなくなるのだ。

草相撲などでは、行司が「はっけよい、のこった」と合図をして、相撲を始めることがあるが、大相撲では、開始の合図は誰も出さない。ただ、東西の力士と行司の三者で黙って息を合わせるのだけなのだ。この沈黙は、相撲の醍醐味で、大相撲という総合芸術の中の最も美しい静寂だと思う。

 

4 行司の声を聞く

 

静寂の後、取組が始まる。激しいぶつかり合いをする両力士の間で、「のこった、のこった」と声を出し続けているのが、行司だ。この行司の声は、相撲に伴奏する音楽で、相撲のテンションを音で表現するものと言えるかもしれない。この「のこった」の連呼は、決して同じテンポで単調に繰り返されるのではなく、時に、微妙な間(フェルマータ)があったり、加速したり(アッチェレランド)する。時には、「のーーー、こったの、こったの」と聞こえることもあるし、「のこっ、たのこっ、たのこっ、たのこった」と聞こえてくることもある。「こっ」の部分にアクセントがついている行司もいるし、「た」にアクセントがつく行司もいる。この「のこった」を、どんなニュアンスで、どんなフレージングするかに、行司一人ひとりの個性があり、その違いを聞き比べるのも大相撲の楽しみの一つになっている。

ずっと、「のこった」だけが続くかと言えば、そうではない。取組が硬直状態になると、行司は「よい、はっけよーい、よい」という言葉を繰り返し、展開を促したりする。この「よい、はっけよーい、よい」は、相撲が硬直状態のため観客が静かで、比較的よく聞こえてくる。「のこった、のこった」の方は、大技が出る度に、観衆が一斉にどよめくので、実際の音楽としては、行司の通奏低音の「のこったのこった」が鳴り続ける上に、時々大観衆のどよめきがオーケストラのトゥッティのように加わるように聞こえる。この時、力士は、大観衆というオーケストラを指揮する指揮者に見えるのだ。

勝負がつくと、行司が「勝負あり」と言うが、この声は大観衆の歓声にかき消されることが多い。その後、勝ち力士の名前を行司が、歌声と語りの中間の(レチタティーボ的な)声で呼び、その後、場内アナウンスで、決まり手と勝ち力士の名前が放送される。すると、次の取組の力士の名前を呼出しが呼び上げ、以下同様につづいていく。

 

 

5 柝(拍子木)を聞く

 

ここまでは、声や体から出る音を聞いてきたが、相撲には、楽器が奏でる音もある。その代表的なものが、柝(=拍子木)である。柝は、ここぞという要所に打ち鳴らされる。柝の甲高い乾いた音は、国技館全体に鳴り響き、その音色は、たった一音で空間を神聖化するほどの力を持つ。硬質な木の楽器、例えばシロフォンと呼ばれる木琴などは、硬質なマレットで叩くと耳に痛いので、しばしば毛糸をまかれた柔らかいマレットで叩いて音色を調整する。逆に、敢えて、硬い音色が欲しい時に、木のマレットで叩く。硬い木の鍵盤を、硬い木のマレットで叩けば、それは硬い音がする。ところが、この柝という楽器は、硬い木を硬い木で鳴らすのだから、格別に硬い音がする。しかも、シロフォンの場合は、球状のマレットで叩くから、一点で鳴るのだが、柝の場合は、面全体で打ち鳴らされるので、そのパワーは絶大だ。つまり、力士が立合いの一瞬に渾身のパワーを込めて当たるように、渾身の一音を鳴らすのだ。しかし、これが力んでしまっては、音の振動が止まってしまう。力みなく、力を抜いて、渾身の一撃を鳴らす。その一音によって、場が清められる。だから、柝はここぞという時に、登場するのであって、滅多矢鱈とは登場しない。そんな登場回数の限定された柝の音色を味わうことは、大相撲においても特別な音体験だ。節目節目に鳴るので、柝が打ち鳴らされる瞬間に、トイレなどに行っては勿体ないが、大相撲は朝8時の朝太鼓から夕方18時半のはね太鼓が終了するまでの10時間半もある長大なパフォーマンスなのに、中入りという休憩が一度あるだけだ。だから、どこでトイレに行くかの判断は、かなり難しい。

さて、この柝の音が最も活躍する特別な時間が2回だけある。一つが、十両土俵入りの時間。もう一つが幕内土俵入り〜横綱土俵入りの時間である。これら土俵入りでは、化粧回しをつけた力士が花道から入場して来る間、一定間隔(数秒程度)で柝が打ち鳴らされ続ける。特に、十両土俵入りと幕内土俵入りは、入場する力士の数が多いので、柝の鳴らされる時間も長く、思う存分に楽しめる。さらには、花道を退場していく時にも、柝は鳴り続け、最後には加速(アッチェレランド)していき、る。

最もドラマチックなのが、幕内土俵入りや十両土俵入りで、東から西に移り変わる瞬間で、この時に、少しだけ、東の呼出しの柝の音色に、西の呼出しの柝の音色が重なるのだ。そして、二つの柝のピッチが若干違っていたりして、例えば、東の柝がA5(高いラ)より少し高い音で、西の柝が B♭5(高いシ♭)より少し低い音だったりすると、この音が重なり合う瞬間は、摩訶不思議な微分音(半音よりも狭い音程のこと)の掛け合いになるのだ。

 

6 観客参加の声を聞く

 

通常、大相撲では観客は自由に声援を送っている。しかし、観客参加型で、観客が一斉に声を出すことが暗黙のルールで決まっているところがある。それが、横綱土俵入りと、弓取り式である。相撲では、土俵にあがった力士は、必ず四股を踏む。しかし、通常、力士が四股を踏んでも、観客はそれに合わせて声を出すことはない。それは、これらの四股が土俵の東西に分かれて踏まれるからである。ところが、力士が土俵中央に立ち、正面を向いて四股を踏む時、観客は足が踏み下ろされると同時に、「ヨイショ」と一斉に叫ぶ。1万人以上の声が一斉に発する声は、一聴に値する迫力があり、力士の動きと声が見事に合わされば感動的でもある。

この土俵中央で四股が踏まれるのは、横綱土俵入りの時と、結びの一番の後で行われる弓取り式のみである。結びの一番が終わると席を立って帰って行く人もいるが、これは勿体ない。その後の弓取り式の「よいしょ」に参加するチャンスを逃すのは惜しいし、弓取り式の最中に会場がザワザワするのは残念なのだ。

 

7 親方の声を聞く

 

大相撲を鑑賞すると、呼出しと行司の声を交互に次々に聞き続けることになる。それ以外の声を聞くチャンスが、勝負審判の審判長を務める親方の声だ。勝負の判定が微妙と勝負審判の親方が判断した時に、「物言い」が起こり、親方たちが協議する。そして、協議の後に、正面の審判長である親方が、マイクで協議の結果を報告する。このマイクパフォーマンスも慣習的に様式化されていて、必ず、「ただいまのー、きょーぎについてー、ごせつめい、もうしあげます。ぎょーじぐんばいはーーー‥‥」と言った言い回しで、協議の内容を伝えるのだ。唯一、親方の声が聞けるチャンスで、熟練した親方の協議説明は、なかなか聞き応えがある。

 

8 太鼓を聞く

(つづく)

ネッテイ相撲 2018年10月24日 野村誠

ネッテイ相撲

 

1 セミナー「相撲と芸術」

 

「ネッテイ相撲」の存在を知ったのは、2014年だった。ぼくは、京都の東山アーティストプレイスメントサービス(HAPS)で行われるOUR SCHOOLの講座のために3回シリーズの講座を企画することになった。作曲家であるから音楽や作曲に関する講座を企画するのが自然だが、自分自身が一番学びたいことを講座のテーマにしようと考えた結果、「相撲と芸術」というタイトルにした。残念ながら、予算が潤沢にあるわけではないので、第3回のみ、講師として元力士の一ノ矢さんをお招きすることになり、1回目、2回目は、ゲストなしで、ぼくが講師を務めることになった。

とは言うものの、ぼくは作曲家であり、音楽の講師は務められるが、相撲に関しては単なる愛好家。相撲の講師など務まるはずがない。JACSHA(日本相撲聞芸術作曲家協議会)としての活動もようやく始動したばかりで、まだまだ活動実績が少なかった。つまり、自分一人で2回も「相撲と芸術」というセミナーを開催するのは、重荷で不安だったのだ。

そこで、講座の準備として、ぼくは相撲に関する本を片っ端から読んだ。とにかく、知識を増やして、自分を安心させたかったのである。20冊くらいは読んだと思う。大相撲の基礎知識や裏話に関する本も読んだし、四股など身体トレーニングに関する本も読んだ。また、相撲の歴史を調べていくと、「相撲の歴史」(新田一郎著)という名著に出会う。神話の時代から始まり、日本書紀に登場する相撲、平安時代に朝廷で行われていた相撲節会、鎌倉幕府や戦国大名など武士に使え、江戸幕府に認可され、横綱や土俵など新たな発明もあり、近現代で現在の大相撲の形態になっていくまで、相撲は時代とともに、大いに変化し続けてきた。平安時代の「相撲節会」と現代の大相撲は、同じ相撲でも、随分と違うようだ。

また、日本全国に神事芸能としての相撲が伝承されていることも知った。特に興味を抱いたのが、山田知子著「相撲の民俗史」(東京書籍)の中に出てくる様々な相撲神事や芸能。ぼくが知っている大相撲とは、似て非なるものが多数あり、「これも相撲なのか!」と相撲という概念が拡張される体験だった。本の中に出てくる神事を、次々に、インターネットで動画検索し、その都度、驚愕した。なんなんだ、これは!相撲という名前がついた摩訶不思議な儀式が、日本全国、各地に伝承されているではないか。

その中の一つ、「ネッテイ相撲」の動画は、殊更、ぼくの音楽的な興味を引きつけた。音楽的と言っても、楽器は一切登場しないのだが。ただただ、二人の男が向かい合い、足踏みをしながら、ヨイ、ヨイ、ヨイと声を発する。そして、長い沈黙がある。時々、力強く斜め前に足を踏み出し、ヨイと叫ぶ。掛け声は、全て「ヨイ」。行為はシンプル。ほぼ足を踏むだけと言っていい。ぼくは、この不思議な間、不思議な沈黙に、とりわけ魅せられた。そして、いつか実際に「ネッテイ相撲」を見てみたいと思った。

 

2 水谷神社を訪ねる

 

それから4年の月日が流れた。ぼくらJACSHA(日本相撲聞芸術作曲家協議会)は、城崎国際アートセンター(兵庫県豊岡市)で「オペラ双葉山」を創作するための滞在制作をしていた。そして、幸運にも城崎を拠点とするダンス普及団体「ダンストーク」の協力を得て、「ねっていずもう保存会」の方々との交流が始まったのだ。

ネッテイ相撲の初体験に心躍らせ、兵庫県養父市奥米地の水谷神社に車で向かったのは、2018年10月8日のことだ。途中の道が、直前の台風の影響で通行止めになっており、別のルートで向かうことになる。道の駅でランチを済ませ、地元産の野菜やお米を購入して後、山をグングン上っていく。ネッテイ相撲の村は、清らかな水の小川が流れ、5−6月には蛍が多く飛び交うと言う。「ネッテイ相撲」を知らなければ、ぼくは生涯この美しき村を訪ねることはなかっただろう。

車を降りる。ここにあるのは、自然の美しさだけでなく平和な静寂だ、と直感する。近くに車が行き交う通りがないし、最寄りの国道からのノイズも山々でマスキングされる。車の通行音が聞こえてこないのが、静けさを感じた理由だろう。もちろん、騒音計で数値を測定したわけでもないし、環境音を録音して調査したわけでもない。ただ、ぼくの耳の記憶を辿ると、そんな音場だった。ぼくの耳は、確かに喜んでいたのだ。

水谷神社に向かう緩やかな坂道、秋祭りの幟。神社の入口の灯籠の歪みの美しさ、そして、土俵。それは、とっても澄んだ土俵だった。それをぼくは、安易に「神聖な」などという言葉では形容したくない。なぜならば、その感じは、神なのか人なのか、聖なのか俗なのか、そんなことは、分からない。ただただ、この土俵は、静かに澄んだ気が漂うのだ。幸せそうに眠っている赤ん坊のような表情をした土俵だった。ただし、この土俵では、ネッテイ相撲は行われない。ここは、神事の後に奉納される子ども相撲大会の会場だ。

この澄んだ土俵を脇目に、急な石段を上る。腰の曲がったおばあちゃんが、杖を使って、一歩一歩上っている。お年寄りにはきつい階段だが、それでも、頑張って上っている。それくらい、村人にとって、この祭りは欠かせない大切な神事なのだろう。

神主さんの祝詞に始まり、お供えが神殿に供えられる。自治会の会長さんや、老人会の代表の方などが、次々に参拝し、2拝の後に2拍手する時に、その場にいる他の人々が、一斉に2拍手する。パン、パン。この2拍手の合奏に、ぼくは、どきっとする。まるで、指揮者の合図で全員が合わせたような見事なアンサンブル。

その後、本殿の裏で、突然、着替えが始まり、下駄を履き、笹を手にした12人の男性がお参りをして、円形に集まる。下駄の上に裸足で立って、一斉に時計回りに、隣の下駄、隣の下駄と、よろつきながらも、回っていく。なんじゃこりゃ!まるで、レクリエーションのゲームのようだ。コミュニケーションのためにデザインされた遊戯のよう。大の大人が大真面目に、下駄の上を足を交差させたりして、時によろけながら、歩いて行く。この時の掛け声もヨイ、ヨイ、ヨイ、ヨイ。「ネッテイ相撲」とそっくりだ。そして、時折、笹を地面に打ち付けながら、「ホンヤラホ」という掛け声を全員で発する。「ホンヤラホ」は、初めて聞いた掛け声で、衝撃だった。こうして、「笹踊り」という謎めいた神事が終わり、いよいよ「ネッテイ相撲」になった。

 

 

3 ネッテイ相撲の実際

 

ついに夢にまで見たネッテイ相撲が始まった。武士風の裃を着用した男性二人が登場し、神主さんから刀を受け取る。本殿から数段階段を下りた苔の広がる広場があり、そこの直径2m程度のエリアだけに、砂が円形に敷かれている。ここがネッテイ相撲の舞台のようだ。土俵のように小高くなっているわけではなく、苔の映えた周囲と同一平面だ。

裃の二人の男性は、登場したかと思うと、さっと上着を脱ぎ、刀と上着を持って、階段までピョンピョンピョンと3歩跳ね、階段に刀と上着を置いてしまった。あ、これは、「武器を持っていません」ということを表現したのか、と瞬時に理解できた。例えば、大相撲では塵手水というのがあり、両手を広げて手の平を下にして、武器を持っていないことを示す。ネッテイ相撲の場合は、わざわざ刀を持って登場し、刀を置くということで、文字通り「武器を持っていない」ということを示したのだ。非核、非武装がなかなか実現できない現代を生きていると、こうした「武器を持っていない」という古来からのメッセージをどう受け止めて、どう現代に実現していったら良いのだろう、と思う。

ちなみに、このピョンピョンピョンという3回の跳躍は、一見コミカルで、まるで烏が跳ねているようだ。上賀茂神社の烏相撲でも、似たような動きがあるようなので、平安時代の「相撲節会」にあった動きが、伝承されたのかもしれない。

さらに、左手、右手で腰を擦る動きがあるが、これに至っては、どう解釈していいのか、ぼくには???である。こうした謎があることも、ワクワクを増大させる。

二人は円に戻り、いよいよネッテイ相撲が始まる。しかし、なかなか、最初の一歩が始まらない。二人の舞手は、神妙な表情で、まだ何もしていないのに、既に疲れ果てたかのようにも見える。重々しい沈黙の後、突然、ヨイ、ヨイ、ヨイと3歩の足踏みが行われる。姿勢は違うが、大地を踏みしめる行為は、相撲の四股に通じるものであり、ヘンバイとも呼ばれ、地鎮の行為に思える。

最初、ぼくは、この「ヨイヨイヨイ」という足踏みの行為に関心を抱いて見ていた。ところが、だんだん、その間にある沈黙の時間こそ表情豊かであると思えてきた。沈黙の時間の間は、重苦しくもあり、緊張感がある。舞手たちは何を思い、この儀式を行っているのだろう。

気がつくと、いつの間にか「ネッテイ相撲」はクライマックスを迎え、二人の力士は合体し、退場する。どこからともなく子どもたちが現れ、餅まきが行われ、その後、子ども相撲大会の時間になる。大人たちは、酒を飲み、平和な時間が続いた。秋祭りはこうして終わっていった。

 

4 24の沈黙

 

鑑賞するだけでは理解できないことが、実際にやってみると分かることがある。音楽も相撲も、やってみることで理解が深まることが多いので、まずは、実際に「ネッテイ相撲」をやってみることにした。

最初は、保存会の方々から、直々に「ネッテイ相撲」を伝授してもらった。一週間後(2018年10月14日)に開催した「ネッテイ相撲からダンスをつくろう!?」というワークショップでのこと。実際にやってみると、「ネッテイ相撲」は、思った以上に体力を使うし、集中力も使う。特に、沈黙して何もしない時間は、演じてみると、張りつめた緊張感がある。そして、この沈黙の間が、24回も登場する。ネッテイ相撲の音の要素を敢えて書き出すと、以下のようになる。ネッテイ相撲が、如何に反復する音楽であり、沈黙の多い音楽であるかが、よく分かると思う。

 

ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間

ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間

ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間

ヨイ       沈黙の間(観客は拍手)

 

ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間

ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間

ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間

ヨイ       沈黙の間(観客は拍手)

 

ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間

ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間

ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間

ヨイ       沈黙の間(観客は拍手)

 

ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間

ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間

ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間

ヨイ       沈黙の間(観客は拍手)

 

ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間

ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間

ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間

ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間(観客は拍手)

 

ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間

ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間

ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間

ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間(観客は拍手)

 

この24という数字を、ぼくは面白いと思った。笹踊りで12人の人が使う下駄の総数は24だ。バッハの「平均律クラヴィーア曲集」は24曲から成り立つし、ショパンやスクリャービンが書いた前奏曲集も24曲だ。24は、全ての長調、短調の合計の数である。バッハやショパンは24曲をセットにした。一方、「ネッテイ相撲」は、24の異なる沈黙をセットにしているのだ。

とりあえず、実践してみることで、何かが見えてくるかもしれない。ぼくらは、「ネッテイ相撲」の声をアクションを沈黙をなぞってみた。やればやるほど、この24回もある沈黙の間が独特であると感じた。24回もあるので、間延びすることが耐えられなくなり、ついつい先を急いでしまいたくなる。しかし、保存会の人の話では、どうやら、この沈黙で緊張感を途絶えさせないことこそ、ネッテイ相撲で最も重要であるらしい。保存会代表の足立さんも、間の重要性を熱く語って下さった一人だ。足立さん曰く、練習し過ぎると、ついつい早くなってしまうことがあるそうで、逆に、練習不足な時に、次が何かを考えながら進めると、しっかり間がとれてうまくできることもあるらしい。

その日から、ぼくたちは、様々な時と場所で、「ネッテイ相撲」を試みてみた。

 

5 相撲と音風景

 

竹野のビーチで「ネッテイ相撲」をやってみた。24回の沈黙の間では、波の音が聞こえてくる。玄武洞で「ネッテイ相撲」をやってみた。24回の沈黙の間に、水の音、電車の音、鳥の声など、様々な環境音が聞こえてくる。あっ、「ネッテイ相撲」をすると、聞くつもりがなくても、環境音が聞こえてくる。あ、「ネッテイ相撲」って、耳を開き音を聞くためのよくできた装置だ、と思った。

20世紀半ばに、アメリカの実験音楽の作曲家ジョン・ケージは、「4分33秒」という作品を発表した。この曲は、3楽章とも沈黙する音楽で、演奏家は一音も音を発しない。聴衆は、何もしない演奏家を目撃する。実際に聞こえてくるのは、その場の環境音のみで、それこそがケージの意図した音楽体験だ。「ネッテイ相撲」の沈黙の間の音楽体験は、ケージの「4分33秒」とそっくりではないか。

「4分33秒」で問題になるのが、3楽章の沈黙の開始と終わりをどのように表現するか、ということになる。3つの沈黙を分け隔てるために、初演時のピアニストだったデイヴィッド・テュードアは、ピアノの蓋を閉じることで、沈黙の開始を、ピアノの蓋を開けることで、沈黙の終了を表現した。つまり、沈黙をどのようにフレーミングするか、が大きな問題になってくる。

「ネッテイ相撲」では、沈黙のフレームを形づくるのが、緊張感を持って発せられる「ヨイヨイヨイ」という声と大地を踏みしめるアクションになる。このヨイヨイヨイの緊迫感が、沈黙のテンションを生み出し、集中力を持って周囲を聴くことを促す。

大相撲の中でも、こうした息を呑む沈黙はある。長い仕切りが終わり、「待ったなし」と行司のかけ声がかかり、手をついて両者が立ち合おうとする瞬間だ。満員御礼の国技館の大観衆のざわめきが一瞬にして静けさになり、誰もが息をのみ、突如、静寂が訪れる。ぼくは、この静寂がとても美しいと思っていた。

ところが、「ネッテイ相撲」を体験してみたことで、大相撲の立ち合いの沈黙について、違った状況が浮かび上がってくる。国技館ができる以前、大相撲は野外で開催されていた。二人の力士の気合いが最高潮に達して、立ち合おうとする瞬間、大観衆が息を呑むと、それは単なる沈黙ではなく、野外ならではの様々な環境音が聞こえてきたはずだ。鳥の鳴き声が聞こえたかもしれないし、遠くから町の生活音が聞こえてきたに違いない。春にウグイスのホーホケキョという声が聞こえてくる時間もあれば、真夏に、セミの大合唱が聞こえてくる時間帯もあったはずだ。朝から夕方まで相撲を鑑賞し続ければ、時間帯とともに、そうして聞こえてくる環境音も変容していくだろう。かつて大相撲の立ち合いの沈黙の間は、そうした環境を聞く時間であったかもしれない。そして、そうした環境音も含めての真の静寂が訪れる奇跡の一瞬に、両力士が立ち合う瞬間もあったに違いない。ネッテイ相撲の体験を通して、テレビ放送もなく、制限時間もなく、野外で開催されていた時代の大相撲の音風景を、想像する。ケージが「4分33秒」を発表する遥か昔、マリー・シェイファーが「サウンド・スケープ」を提唱する遥か昔から、相撲には、環境を聞く仕組みが盛り込まれていた。