ネッテイ相撲
1 セミナー「相撲と芸術」
「ネッテイ相撲」の存在を知ったのは、2014年だった。ぼくは、京都の東山アーティストプレイスメントサービス(HAPS)で行われるOUR SCHOOLの講座のために3回シリーズの講座を企画することになった。作曲家であるから音楽や作曲に関する講座を企画するのが自然だが、自分自身が一番学びたいことを講座のテーマにしようと考えた結果、「相撲と芸術」というタイトルにした。残念ながら、予算が潤沢にあるわけではないので、第3回のみ、講師として元力士の一ノ矢さんをお招きすることになり、1回目、2回目は、ゲストなしで、ぼくが講師を務めることになった。
とは言うものの、ぼくは作曲家であり、音楽の講師は務められるが、相撲に関しては単なる愛好家。相撲の講師など務まるはずがない。JACSHA(日本相撲聞芸術作曲家協議会)としての活動もようやく始動したばかりで、まだまだ活動実績が少なかった。つまり、自分一人で2回も「相撲と芸術」というセミナーを開催するのは、重荷で不安だったのだ。
そこで、講座の準備として、ぼくは相撲に関する本を片っ端から読んだ。とにかく、知識を増やして、自分を安心させたかったのである。20冊くらいは読んだと思う。大相撲の基礎知識や裏話に関する本も読んだし、四股など身体トレーニングに関する本も読んだ。また、相撲の歴史を調べていくと、「相撲の歴史」(新田一郎著)という名著に出会う。神話の時代から始まり、日本書紀に登場する相撲、平安時代に朝廷で行われていた相撲節会、鎌倉幕府や戦国大名など武士に使え、江戸幕府に認可され、横綱や土俵など新たな発明もあり、近現代で現在の大相撲の形態になっていくまで、相撲は時代とともに、大いに変化し続けてきた。平安時代の「相撲節会」と現代の大相撲は、同じ相撲でも、随分と違うようだ。
また、日本全国に神事芸能としての相撲が伝承されていることも知った。特に興味を抱いたのが、山田知子著「相撲の民俗史」(東京書籍)の中に出てくる様々な相撲神事や芸能。ぼくが知っている大相撲とは、似て非なるものが多数あり、「これも相撲なのか!」と相撲という概念が拡張される体験だった。本の中に出てくる神事を、次々に、インターネットで動画検索し、その都度、驚愕した。なんなんだ、これは!相撲という名前がついた摩訶不思議な儀式が、日本全国、各地に伝承されているではないか。
その中の一つ、「ネッテイ相撲」の動画は、殊更、ぼくの音楽的な興味を引きつけた。音楽的と言っても、楽器は一切登場しないのだが。ただただ、二人の男が向かい合い、足踏みをしながら、ヨイ、ヨイ、ヨイと声を発する。そして、長い沈黙がある。時々、力強く斜め前に足を踏み出し、ヨイと叫ぶ。掛け声は、全て「ヨイ」。行為はシンプル。ほぼ足を踏むだけと言っていい。ぼくは、この不思議な間、不思議な沈黙に、とりわけ魅せられた。そして、いつか実際に「ネッテイ相撲」を見てみたいと思った。
2 水谷神社を訪ねる
それから4年の月日が流れた。ぼくらJACSHA(日本相撲聞芸術作曲家協議会)は、城崎国際アートセンター(兵庫県豊岡市)で「オペラ双葉山」を創作するための滞在制作をしていた。そして、幸運にも城崎を拠点とするダンス普及団体「ダンストーク」の協力を得て、「ねっていずもう保存会」の方々との交流が始まったのだ。
ネッテイ相撲の初体験に心躍らせ、兵庫県養父市奥米地の水谷神社に車で向かったのは、2018年10月8日のことだ。途中の道が、直前の台風の影響で通行止めになっており、別のルートで向かうことになる。道の駅でランチを済ませ、地元産の野菜やお米を購入して後、山をグングン上っていく。ネッテイ相撲の村は、清らかな水の小川が流れ、5−6月には蛍が多く飛び交うと言う。「ネッテイ相撲」を知らなければ、ぼくは生涯この美しき村を訪ねることはなかっただろう。
車を降りる。ここにあるのは、自然の美しさだけでなく平和な静寂だ、と直感する。近くに車が行き交う通りがないし、最寄りの国道からのノイズも山々でマスキングされる。車の通行音が聞こえてこないのが、静けさを感じた理由だろう。もちろん、騒音計で数値を測定したわけでもないし、環境音を録音して調査したわけでもない。ただ、ぼくの耳の記憶を辿ると、そんな音場だった。ぼくの耳は、確かに喜んでいたのだ。
水谷神社に向かう緩やかな坂道、秋祭りの幟。神社の入口の灯籠の歪みの美しさ、そして、土俵。それは、とっても澄んだ土俵だった。それをぼくは、安易に「神聖な」などという言葉では形容したくない。なぜならば、その感じは、神なのか人なのか、聖なのか俗なのか、そんなことは、分からない。ただただ、この土俵は、静かに澄んだ気が漂うのだ。幸せそうに眠っている赤ん坊のような表情をした土俵だった。ただし、この土俵では、ネッテイ相撲は行われない。ここは、神事の後に奉納される子ども相撲大会の会場だ。
この澄んだ土俵を脇目に、急な石段を上る。腰の曲がったおばあちゃんが、杖を使って、一歩一歩上っている。お年寄りにはきつい階段だが、それでも、頑張って上っている。それくらい、村人にとって、この祭りは欠かせない大切な神事なのだろう。
神主さんの祝詞に始まり、お供えが神殿に供えられる。自治会の会長さんや、老人会の代表の方などが、次々に参拝し、2拝の後に2拍手する時に、その場にいる他の人々が、一斉に2拍手する。パン、パン。この2拍手の合奏に、ぼくは、どきっとする。まるで、指揮者の合図で全員が合わせたような見事なアンサンブル。
その後、本殿の裏で、突然、着替えが始まり、下駄を履き、笹を手にした12人の男性がお参りをして、円形に集まる。下駄の上に裸足で立って、一斉に時計回りに、隣の下駄、隣の下駄と、よろつきながらも、回っていく。なんじゃこりゃ!まるで、レクリエーションのゲームのようだ。コミュニケーションのためにデザインされた遊戯のよう。大の大人が大真面目に、下駄の上を足を交差させたりして、時によろけながら、歩いて行く。この時の掛け声もヨイ、ヨイ、ヨイ、ヨイ。「ネッテイ相撲」とそっくりだ。そして、時折、笹を地面に打ち付けながら、「ホンヤラホ」という掛け声を全員で発する。「ホンヤラホ」は、初めて聞いた掛け声で、衝撃だった。こうして、「笹踊り」という謎めいた神事が終わり、いよいよ「ネッテイ相撲」になった。
3 ネッテイ相撲の実際
ついに夢にまで見たネッテイ相撲が始まった。武士風の裃を着用した男性二人が登場し、神主さんから刀を受け取る。本殿から数段階段を下りた苔の広がる広場があり、そこの直径2m程度のエリアだけに、砂が円形に敷かれている。ここがネッテイ相撲の舞台のようだ。土俵のように小高くなっているわけではなく、苔の映えた周囲と同一平面だ。
裃の二人の男性は、登場したかと思うと、さっと上着を脱ぎ、刀と上着を持って、階段までピョンピョンピョンと3歩跳ね、階段に刀と上着を置いてしまった。あ、これは、「武器を持っていません」ということを表現したのか、と瞬時に理解できた。例えば、大相撲では塵手水というのがあり、両手を広げて手の平を下にして、武器を持っていないことを示す。ネッテイ相撲の場合は、わざわざ刀を持って登場し、刀を置くということで、文字通り「武器を持っていない」ということを示したのだ。非核、非武装がなかなか実現できない現代を生きていると、こうした「武器を持っていない」という古来からのメッセージをどう受け止めて、どう現代に実現していったら良いのだろう、と思う。
ちなみに、このピョンピョンピョンという3回の跳躍は、一見コミカルで、まるで烏が跳ねているようだ。上賀茂神社の烏相撲でも、似たような動きがあるようなので、平安時代の「相撲節会」にあった動きが、伝承されたのかもしれない。
さらに、左手、右手で腰を擦る動きがあるが、これに至っては、どう解釈していいのか、ぼくには???である。こうした謎があることも、ワクワクを増大させる。
二人は円に戻り、いよいよネッテイ相撲が始まる。しかし、なかなか、最初の一歩が始まらない。二人の舞手は、神妙な表情で、まだ何もしていないのに、既に疲れ果てたかのようにも見える。重々しい沈黙の後、突然、ヨイ、ヨイ、ヨイと3歩の足踏みが行われる。姿勢は違うが、大地を踏みしめる行為は、相撲の四股に通じるものであり、ヘンバイとも呼ばれ、地鎮の行為に思える。
最初、ぼくは、この「ヨイヨイヨイ」という足踏みの行為に関心を抱いて見ていた。ところが、だんだん、その間にある沈黙の時間こそ表情豊かであると思えてきた。沈黙の時間の間は、重苦しくもあり、緊張感がある。舞手たちは何を思い、この儀式を行っているのだろう。
気がつくと、いつの間にか「ネッテイ相撲」はクライマックスを迎え、二人の力士は合体し、退場する。どこからともなく子どもたちが現れ、餅まきが行われ、その後、子ども相撲大会の時間になる。大人たちは、酒を飲み、平和な時間が続いた。秋祭りはこうして終わっていった。
4 24の沈黙
鑑賞するだけでは理解できないことが、実際にやってみると分かることがある。音楽も相撲も、やってみることで理解が深まることが多いので、まずは、実際に「ネッテイ相撲」をやってみることにした。
最初は、保存会の方々から、直々に「ネッテイ相撲」を伝授してもらった。一週間後(2018年10月14日)に開催した「ネッテイ相撲からダンスをつくろう!?」というワークショップでのこと。実際にやってみると、「ネッテイ相撲」は、思った以上に体力を使うし、集中力も使う。特に、沈黙して何もしない時間は、演じてみると、張りつめた緊張感がある。そして、この沈黙の間が、24回も登場する。ネッテイ相撲の音の要素を敢えて書き出すと、以下のようになる。ネッテイ相撲が、如何に反復する音楽であり、沈黙の多い音楽であるかが、よく分かると思う。
ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間
ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間
ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間
ヨイ 沈黙の間(観客は拍手)
ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間
ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間
ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間
ヨイ 沈黙の間(観客は拍手)
ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間
ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間
ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間
ヨイ 沈黙の間(観客は拍手)
ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間
ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間
ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間
ヨイ 沈黙の間(観客は拍手)
ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間
ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間
ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間
ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間(観客は拍手)
ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間
ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間
ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間
ヨイ ヨイ ヨイ 沈黙の間(観客は拍手)
この24という数字を、ぼくは面白いと思った。笹踊りで12人の人が使う下駄の総数は24だ。バッハの「平均律クラヴィーア曲集」は24曲から成り立つし、ショパンやスクリャービンが書いた前奏曲集も24曲だ。24は、全ての長調、短調の合計の数である。バッハやショパンは24曲をセットにした。一方、「ネッテイ相撲」は、24の異なる沈黙をセットにしているのだ。
とりあえず、実践してみることで、何かが見えてくるかもしれない。ぼくらは、「ネッテイ相撲」の声をアクションを沈黙をなぞってみた。やればやるほど、この24回もある沈黙の間が独特であると感じた。24回もあるので、間延びすることが耐えられなくなり、ついつい先を急いでしまいたくなる。しかし、保存会の人の話では、どうやら、この沈黙で緊張感を途絶えさせないことこそ、ネッテイ相撲で最も重要であるらしい。保存会代表の足立さんも、間の重要性を熱く語って下さった一人だ。足立さん曰く、練習し過ぎると、ついつい早くなってしまうことがあるそうで、逆に、練習不足な時に、次が何かを考えながら進めると、しっかり間がとれてうまくできることもあるらしい。
その日から、ぼくたちは、様々な時と場所で、「ネッテイ相撲」を試みてみた。
5 相撲と音風景
竹野のビーチで「ネッテイ相撲」をやってみた。24回の沈黙の間では、波の音が聞こえてくる。玄武洞で「ネッテイ相撲」をやってみた。24回の沈黙の間に、水の音、電車の音、鳥の声など、様々な環境音が聞こえてくる。あっ、「ネッテイ相撲」をすると、聞くつもりがなくても、環境音が聞こえてくる。あ、「ネッテイ相撲」って、耳を開き音を聞くためのよくできた装置だ、と思った。
20世紀半ばに、アメリカの実験音楽の作曲家ジョン・ケージは、「4分33秒」という作品を発表した。この曲は、3楽章とも沈黙する音楽で、演奏家は一音も音を発しない。聴衆は、何もしない演奏家を目撃する。実際に聞こえてくるのは、その場の環境音のみで、それこそがケージの意図した音楽体験だ。「ネッテイ相撲」の沈黙の間の音楽体験は、ケージの「4分33秒」とそっくりではないか。
「4分33秒」で問題になるのが、3楽章の沈黙の開始と終わりをどのように表現するか、ということになる。3つの沈黙を分け隔てるために、初演時のピアニストだったデイヴィッド・テュードアは、ピアノの蓋を閉じることで、沈黙の開始を、ピアノの蓋を開けることで、沈黙の終了を表現した。つまり、沈黙をどのようにフレーミングするか、が大きな問題になってくる。
「ネッテイ相撲」では、沈黙のフレームを形づくるのが、緊張感を持って発せられる「ヨイヨイヨイ」という声と大地を踏みしめるアクションになる。このヨイヨイヨイの緊迫感が、沈黙のテンションを生み出し、集中力を持って周囲を聴くことを促す。
大相撲の中でも、こうした息を呑む沈黙はある。長い仕切りが終わり、「待ったなし」と行司のかけ声がかかり、手をついて両者が立ち合おうとする瞬間だ。満員御礼の国技館の大観衆のざわめきが一瞬にして静けさになり、誰もが息をのみ、突如、静寂が訪れる。ぼくは、この静寂がとても美しいと思っていた。
ところが、「ネッテイ相撲」を体験してみたことで、大相撲の立ち合いの沈黙について、違った状況が浮かび上がってくる。国技館ができる以前、大相撲は野外で開催されていた。二人の力士の気合いが最高潮に達して、立ち合おうとする瞬間、大観衆が息を呑むと、それは単なる沈黙ではなく、野外ならではの様々な環境音が聞こえてきたはずだ。鳥の鳴き声が聞こえたかもしれないし、遠くから町の生活音が聞こえてきたに違いない。春にウグイスのホーホケキョという声が聞こえてくる時間もあれば、真夏に、セミの大合唱が聞こえてくる時間帯もあったはずだ。朝から夕方まで相撲を鑑賞し続ければ、時間帯とともに、そうして聞こえてくる環境音も変容していくだろう。かつて大相撲の立ち合いの沈黙の間は、そうした環境を聞く時間であったかもしれない。そして、そうした環境音も含めての真の静寂が訪れる奇跡の一瞬に、両力士が立ち合う瞬間もあったに違いない。ネッテイ相撲の体験を通して、テレビ放送もなく、制限時間もなく、野外で開催されていた時代の大相撲の音風景を、想像する。ケージが「4分33秒」を発表する遥か昔、マリー・シェイファーが「サウンド・スケープ」を提唱する遥か昔から、相撲には、環境を聞く仕組みが盛り込まれていた。