「南後船」(ふぇーぬくしぶに)の作曲について 鶴見幸代

202137日(日)に、沖縄県浦添市のアイムユニバース・てだこホール大ホールにて開催された、琉球交響楽団第39回定期演奏会にて、オーケストラと歌三線のための作品「南後船」(ふぇーぬくしぶに)が、大友直人指揮、琉球交響楽団と歌三線の島袋奈美、棚原健太で初演された。

312日(金)の沖縄の新聞、琉球新報と沖縄タイムスの両紙に、琉球交響楽団第39回定期演奏会の様子がカラーの写真付きで紹介された。「南後船」に関する箇所を下記に引用させていただく。

琉球新報『作曲家の鶴見が琉響のために書き下ろした「南後船」は、江戸時代から明治にかけて、大阪から北海道を航海した商船群「北前船」の文化に影響を受け沖縄版を創作。糸満ハーレー歌や勢理客の獅子舞の音楽を取り入れ、七五調の囃子歌「相撲甚句」を組み合わせた。琉響の迫力ある演奏と、島袋と棚原の高らかな歌三線が、リズミカルに本土へ向かう意気揚々とした旅や夢を物語のように表現した。』(田中芳)

沖縄タイムス『委嘱作品「南後船」は江戸から明治期に日本の交易を担った「北前船」をモチーフにした。架空の船「南後船」が沖縄から本土に向かう様が、沖縄音階を刻むオーケストラと琉球古典音楽の島袋奈美、棚原健太による歌三線で色彩豊かにつづられた。ティンパニ、弦楽器の音を大胆に使った音使いは、勇壮な中にも優しさが込められ、歌三線と「どすこい」の「ふぇーし」を伴った「双葉山甚句」の構想は好角家、鶴見の面目躍如。「和洋」に「琉」の要素を加えた楽曲をドラマチックに締めくくった。』(天久仁)

→沖縄タイムス電子記事


「南後船」は「オペラ双葉山」に直結する。今後の「オペラ双葉山」と「南後船」の発展のために、作曲の経緯、内容、気付きについての詳細を、相撲聞エッセイとして記述しておく。

コンサートのプログラムノートとして書いたのが下記である。

実在した「北前船」(きたまえぶね)に対して、沖縄から内地へ物資を運ぶ架空の船「南後船」(ふぇーぬくしぶに)の旅物語。日本相撲聞芸術作曲家協議会(JACSHA/ジャクシャ)が創作中の「オペラ双葉山」の「北前船と南後船の段」からインスパイアされた。糸満ハーレー歌が歌われ、相撲太鼓のリズムに合わせて獅子舞の音楽も登場する。北前船の船乗りが伝え、全国各地に残っている民謡「相撲甚句」の代表的なものに「一人娘」がある。兵庫県但馬地方の「一人娘」の歌詞から、琉球包みが嫁入り道具の一つであるのが分かるが(これも事実)、それは南後船で運ばれた名残りなのである。そして、但馬に寄港した船乗りが、相撲巡業で双葉山の相撲を見て感動し、相撲甚句を覚え、三線伴奏で歌うようになった。沖縄には相撲甚句がないというが(これも事実)、実は南後船では沖縄風に相撲甚句が歌われていたのであった。船、海、相撲の文化を通して、沖縄と日本の音楽の合わせ技が聴きどころです。

作曲の経緯と内容:

20209281012日の十五日間JACSHAは二度目となる城崎国際アートセンター(KIAC)でのアーティストインレジデンスを行った。十四日目の1011日には、滞在成果発表として、「オペラ双葉山〜竹野の段」を上演した。2年前の2018年のレジデンスの際に、城崎から山をこえた町、竹野に伝わる竹野相撲甚句に出会い、2019年にはヴァイオリニストの小川和代さんの委嘱で、竹野相撲甚句をベースにしたヴァイオリンとピアノのための作品「毛弓取り甚句」を作曲した。小川さんのお母様が竹野出身であるという驚きの偶然は作曲してから知った。そして、2020のレジデンスで、小川さんも一緒に竹野についてさらにリサーチを深め、創作した「竹野の段」には竹野相撲甚句が多様に展開されている

レジデンスを終えて間もなく、JACSHAフォーラム2020『オペラ双葉山』とは何か?という冊子を1ヶ月たらずで制作した。『オペラ双葉山』FUTURE〜取組予定〜コーナーで「竹野の段」に続く、他の段のアイデアが多く書かれている。その内の一つが、「北前船と南後船の段」である。

北前船と南後船の段『相撲甚句の伝播にとって欠かせないのが、力士、船乗り、そして座敷だ。秋田から北前船に乗った船乗りが、各地で覚えた相撲甚句を竹野で披露し、竹野相撲甚句となった。甚句とともにお嫁さんもやって来た。一方で、沖縄から南後船に乗った船乗りが、港町で相撲巡業を見て感動し、お座敷で甚句を覚え、三線伴奏で歌うようになった。歌の名手はどこに行ってもモテモテで色濃い話が絶えないものである。旅と相撲甚句のロマンチックストーリー。』JACSHAフォーラム2020『オペラ双葉山』とは何か?より)

琉球交響楽団(琉響)から作品委嘱をいただいたとき、この「南後船」の曲にしようと決めた。先のプログラムノートにも書いたように、「南後船」は架空の船である。「北前船」の逆の名称を付けただけのものである。北前船は「きたまえぶね」と読むが、南後船は「みなみあとぶね」なのか「なんごせん」なのかどうするか迷ったが、琉響に沖縄らしい読み方を相談し、「ふぇーぬくしぶに」とした。しかしおそらく、どれで読んでも正解である。北前船は沖縄らしく読むと「にしめーぶに」になると思う。

「南後船」の作品にしようと思ったのは、沖縄の糸満ハーレー歌が、船出の音楽としてぴったりなのではないかと閃いたの大きい。糸満ハーレーは、船の競争も、その前後に行われる行事も何度か見に行ったことがあるのだが、そこで歌われるハーレー歌よく知りたいと長年思っているうちに、糸満出身のテノール歌手である喜納響さんが、たびたび歌ってくれ、いつしかやってみたいと、華やかな旋律に魅せられていった。糸満はないけれど、他の地域のハーリーでは何度も船を漕いだことがあり、我を忘れて全身全霊で漕ぎ続けるときの恍惚さがとても好きなので、一層思い入れが強い。(糸満ではハーレーというが、ハーリーという地域もある)

そうして、「南後船」の冒頭は、糸満ハーレー歌とともに打たれる鐘をイメージした、チューブラーベルの音から始まる。音楽作品として、聞き手の解釈の幅を広げるために、プログラムノートに詳細は書かなかったが、ここからは私が作曲したときのイメージや考えていたストーリーも記しておく。

鐘から始まるイントロ部は、夜が開ける前の海。もしくはゆっくりと出発し始めた船かもしれない。モチーフは、この後登場するハーレー歌などの民謡などは一切なく、「南後船」の楽曲を構成する最小単位の半音関係2のつながり、それだけが少しずつ展開していく。という作曲らしいことしている。もう一つ隠れているのは、黒潮である。12年前に、大重潤一郎監督映画「久高オデッセイ」の音楽をやったときに、監督はよく、黒潮!と言っていた。それで私がイメージした黒潮音楽は、結局映画には使われなかったが、黒潮なんてまだまだ自分には大きすぎるテーマで作りきれなかった思いもあり、いつしか挑戦したいとずっと心のどこかにはあったので、このときのアイデアも盛り込み、かつ濃密な海、黒潮をイメージした音楽になっている。

夜が明け、船が揃い、「船出じゃー」と意気揚々と華々しくtuttiで糸満ハーレー歌が歌いあげられ出発。荒波にも揉まれつつ、一日目の航海は順風満帆に進み夜が更けていく。

糸満ハーレーは、旧暦の5月4日に行われる大漁と航海安全を祈願する祭りである。糸満ハーレー歌では、王様への感謝と、大漁豊年、船の美しさ、海人の安全祈願が歌われる、まさに「南後船」の幕開けに相応しい。西村地域の歌詞を2番まで歌う。

「糸満ハーレー歌」(西村)
1.  首里御天加那志 百々とうまでぃ
末までぃヨー サー ヘンサー ヘンサーヨ
サー御万人ぬ間切ヨ
サー拝でぃしでぃーら
サー ヘンサー ヘンサーヨ
(1.  首里城にいらっしゃる王様の世は、 百々十まで末々まで(千年も万年も)、 続いていただきそのことを、我々国民もお祈りしましょう)

2.  でぃき城按司ぬ 乗いみせる
御船ヨー サー ヘンサー ヘンサーヨ
サー世果報待ち受きてぃヨ
サー走ぬ美らさ
サー ヘンサー ヘンサーヨ
(2.  でぃき城按司(南山最後の王 他魯毎)に、 乗せられて御船は大漁豊年を、 待ち受けているようで、何とその走りの美しいことよ)

(歌詞参照サイト:糸満ハーレー歌大会)

「南後船」では、海と船と獅子舞と相撲のイメージが重なっている。次のシーンは獅子舞の夢だ。波に揺られて進んでいく船に、沖縄の獅子舞を重ね合わせている。きっと船には、獅子丸という名前がついている。相撲太鼓の一番太鼓のリズムが、規則的ではない波のうねりのように、ティンバレス風にスネダドラムとティンパニのダブルで派手に鳴らされ、それにのって、沖縄ではお馴染みの獅子舞の音楽が奏でられる。各地の獅子舞で演奏される音楽であるが、勢理客(じっちゃく)の獅子舞で聞いた、途中変拍子を感じる独特のメロディ。さらに、糸満ハーレー歌や、竹野相撲甚句の断片が次々と登場し、船旅の喜び、これから訪れる本土への予知夢として表現される。実際の演奏では、思った以上にぶっちぎりのスピードだったので、超高速船から見える島々や鳥など次々に現れては消えていくような情景が浮かんだ。

獅子舞の音楽はループ音楽なので、糸満ハーレー歌の最後のフレーズをつけてこのシーンは終わる。一番太鼓は、呼び出しさんが演奏するのとは、まるっきり同じではなく一番太鼓の特徴あるリズムを獅子舞のメロディに合わせ、スタイルを崩さずに進行し、糸満ハーレー歌の最後と、一番太鼓のコーダの最後を合わせると、ぴったりとハマる。一番太鼓だけでも終わった感のあるリズムではあるが、メロディが重なると、はっきりとばっちり音楽が終わった感じがでる。しかもとてもカッコよくしまる。今まで他の作曲作品でも、一番太鼓のリズムでたくさん曲は作ったが(リズムをメロディにしたり、ピアノ曲にしたり)、今回、太鼓自体と他の音楽を重ねてみて気づいたのは、ひょっとして相撲太鼓には、かつては太鼓以外の音楽がついてたんじゃないかしら?もしくは、ある音楽に付けてたリズムだけが相撲太鼓として残ってるんじゃないかしら?ということだそう考えると、一番太鼓だけでも、練り上げられた楽曲構成になっている理由が見えてくる気がする。

次は、竹野相撲甚句の前唄の旋律が、沖縄風旋律にしたのとポリフォニックに何層にも重なった、朝靄のようなシーン。いよいよ本土が見えてきた。前唄ポリフォニーは『オペラ双葉山〜竹野の段』もそうであったが、JACSHAがワークショップやコンサートなどで登場するときのオープニングの定番にもなっているJACSHA三名が鍵盤ハーモニカで思い思いに前唄を奏でて登場する。それにはなかった、「南後船」の初めての試みとしては、前唄の沖縄風旋律を重ねたことだ。JACSHAのワークショップで、竹野相撲甚句と大相撲の相撲甚句を重ねて歌ってみたことがある。同じ調号両方を同時に歌うと、ちょうど完全五度もしくは四度でキレイにハモることができるのだ。なので、このシーンでも、両方の五度関係でポリフォニーになっているのに加え、試しに三度でハモって旋律を作ってみると、なんと沖縄風になった。琉球音階でもあるし、節回しも沖縄音楽らしくなる。なので、この3つの旋律をポリフォニーでなく、同時に演奏すると、三和音になり、沖縄風は真ん中のパートということになる。このことから気づいたのは、世界にはいろいろなモード(〇〇音階、〇〇律、〇〇旋法)があるが、それらはひょっとしてハモりパートが独立したものなのかも?ということだ。「南後船」は、沖縄にも相撲甚句があった、というファンタジーであるが、このことから、もしや事実なのではないかと自分でも錯覚に陥るほどで、この後の展開にも大きく影響する。

朝靄が明けて、いよいよ上陸。ここからは陸地の音楽だ。まずは花嫁行列である。19曲伝わっている竹野相撲甚句の1曲「一人娘」の本唄途中まで歌われる。竹野では「一人娘」というタイトルではなく、前唄の歌い出し「竹野のやー」呼ばれるのだが、非常に似たような歌詞の相撲甚句が全国にあり「一人娘」や「嫁入り」と言われるので、竹野バージョンの「一人娘」としてここでもそう呼ぶことにする。それくらい相撲甚句では定番の1曲であるのだが、私が調べられる限りで、但馬地方であるこの竹野や養父の「一人娘」にのみ、嫁入り道具の一つとして「琉球包み」が登場するのである。これでますます本当に「南後船」で嫁入り道具を運んだのではないかと、物語のイメージが膨らんでいった。相撲甚句は、沖縄の「ナークニー」や「とぅばらーま」のように、同じメロディに思い思いの歌詞をのせて歌われるものだ。なので、どの相撲甚句もメロディは同じ。ただ、歌詞の量は決まっていない。本唄は七五調の歌詞一行を1パターンとし、竹野相撲甚句は4パターン、大相撲スタイルでは5パターンのメロディの繰り返しであるが、4, 5行を1区切りにせずとも、何行で終わってもよく、最後の歌詞でコーダのメロディをつけて歌えば相撲甚句は完結できる。なので、メロディパターンを覚えてしまえば、どんな七五調の歌詞がきても自動的に歌い続けられるのであるが、竹野相撲甚句「一人娘」はちょっと違う。スタンダードならば、1,2,3,4,1,2,3,4順に進んでいくのだが、以下のように、句あまりというのか、イレギュラーな進行で始まる。

1:嫁入りさせようとの 事決まり
2の上句:箪笥七棹
1の上句:長持八棹に
1:琉球包みが 三荷ある
2:枕屏風にゃ 蚊帳そえて
3:これ程持たせて 嫁るからにゃ
4:必ず去るなよ 去られなよ

(歌詞参照書籍:竹野相撲甚句)

「南後船」で歌われるのはここまでで、「一人娘」の歌詞はまだまだ続く。この後のパターンは、通常通り進んでいく。

大相撲やその他の地域に伝わる「一人娘」の当該場所の歌詞は、大体こうだ。

1:箪笥 長持 鋏み箱
2:あれこれ揃えて やるからにゃ
3:二度と戻るな 出てくるな

これに比べると、竹野では嫁入り道具が詳細で、イレギュラーに節付けされていることからも、「琉球包み」にもこだわりがあるのではないかと察する

もう一つ発見したのは、この詳細な道具は、全国に残る民謡「長持(ながもちうた)と共通していることだこれこそ、花嫁行列で歌われるお祝いの歌だ。長持とは道具を入れて運ぶ大きな箱。棹を通して担がれる。歌詞も似ているが、歌を聞いてみると、相撲甚句の前唄と同じ七七七五調でメロディよく似ている。佐賀箪笥長持唄では合いの手に「ハァーシコイシコイ」と入れるのが、相撲甚句の「ハァードスコイドスコイ」にも似て、長持唄と相撲甚句の繋がりがあるのではないかと思う。

「南後船」の「一人娘」は、このイレギュラーのメロディを、例のハモりによって得られた沖縄風旋律で歌われるのであるが、この歌三線の歌と、オーケストラによる元の竹野相撲甚句の旋律、または大相撲スタイルの旋律と交互に演奏される。そして、オーケストラのメロディは、首里赤田町で行われる行事、赤田みるくのウンケーの行列で演奏される、路次楽のサウンドをイメージし、オーボエやミュートしたトランペットがそれらしく奏でる。そこに付けられたリズムの合奏は、竹野相撲甚句ときの手拍子足拍子だ。これは、去年のレジデンスのときに、竹野相撲甚句のキーパーソンである與田政則さんから直々に教わったものを、さらに、竹野小学校の金管バトンクラブとオンラインワークショップをしたときに、子どもたちと演奏した合奏のアイデアが元になっている。金管バトンクラブのみんなとこれを演奏しながら野外でパレードをしたかったのであるが、コロナ禍の中で実現はできなかったので、その悔しい思いも込められている。

右右左左と一歩ずつ前進するときはピチカート、手拍子はコルレーニョとバルトークピチカートとタンブリン、右足を大きく上げるときは木管のクラスターとシンバル、右右左左と後進するときはアルコと、手拍子足拍子の振り付けを忘れないためにも各所で音色をかえた。これの繰り返し。ついでにメモとして、養父市の斎(いつき)神社の秋祭りでは、相撲甚句に合わせて四股を踏み踊り始めるということで、こちらもいつしか見てみたい。

行列が終わると沖縄大甚句。ここ、相撲観戦をしながら結婚式、という夢のようなシーンをイメージした。大甚句は相撲甚句の前唄のこと。竹野と大相撲の前唄は非常によく似ているが、大相撲スタイルのが倍くらいの長さがあり、ここでは大相撲の前唄を、例のハモりによって沖縄旋律に変えたメロディ。私の好きな琉球古典音楽の「述懐節」(しゅっけーぶし)の三線の手が違和感なく付けられるほど、ここでも前からあった古典音楽らしい節回しになることに驚く。たっぷり歌いあげる喜びの音楽だ。歌詞は沖縄の言葉で自作した。キーワードは「揃った」である。各民謡では、何かが揃ったことが、特別な喜びとして歌われる。特に、稲の花や実が揃って出てきた豊作の喜びと、その歌ならではの何かが揃う。

例えば:

竹野相撲甚句の前唄
「揃うたやー 揃いましたよ どなたも揃うたよ」

大相撲の相撲甚句の前唄
「揃うたやー 揃いました 相撲取り衆が 稲の出穂より なおよく揃うた」

花笠音頭
「揃ろた揃ろたよ 笠踊り揃ろた 秋の出穂より まだ揃ろた」

沖縄の民謡にも、揃う歌がある。

稲摺り節(いにしりぶし)
「我した美童ぬ 揃ゆてぃ 揃ゆてぃからや」
(わしたみやらびぬ するゆてぃ するゆてぃからや)

稲のほかに、相撲取りや花笠、美童(みやらび乙女が揃うのである。では、沖縄大甚句では何が揃うのかというと、船と骨だ。沖縄では船も骨も「ふに」という。船の作品なので、船が揃った喜びと骨を掛けあわせている。なぜ骨なのか?相撲では、四股を踏む時、相手に力を伝える時に、足の先、膝、手や腕の骨の方向が揃うことが、体の使い方として非常に重要なためだ。稲については、稲摺り節の続きの歌詞、稲の軸の美しさを引用している。要するにここでいよいよ双葉山の登場なのである。骨の方向が綺麗に揃い、体の軸が通って、どこにも力みのない美しい佇まいの描写である。そうしてできた「沖縄大甚句」の歌詞は以下だ。大分県宇佐市生まれの双葉山は海が身近にあり、父親が船乗りだったため、一緒に船に乗っていた

「沖縄大甚句」
するてぃヤー するてぃからや
むるふにするてぃ
くがにヤー 軸たてぃてぃ
うはつ上ぎら

(訳:すべての船(骨)が揃ったので、黄金色の稲穂の軸をまっすぐ立てて、神様に捧げましょう)

この大甚句に合わせて、ヴァイオリンが大胆にダイナミックに奏でる音楽は、一番太鼓のリズムをモチーフにし、相撲の白熱した取組を表現している

続いて、双葉山甚句が歌われる。シーンとしては結婚式の宴会のイメージだ。大相撲の相撲甚句の音楽を歌三線とオーケストラの共演で演奏する。前唄は、オリジナルのイメージとはうってかわって、早弾きのカチャーシー風に奏でられる。島尻天川節や嘉手久節のように、長く伸びやかに歌い上げられる前唄と早弾きがマッチすると思ったからだ。それらの曲のように、三線が一回落ちたら分からなくなる、あの独特な難儀さをわざわざ作り出している。本唄のメロディは沖縄風にはせず、伝統の相撲甚句である。本唄の後に歌われるはやし唄は、伝統的には節が付かない、語りのように囃される部分だが、竹野相撲甚句らしい節を創作した。プログラムノートにあるように、相撲甚句を三線伴奏で歌うようになったのは、まず私である去年の4月、高砂部屋の力士・朝乃山大関昇進伝達式記念として勝手に作った相撲甚句「相撲を愛し」に三線を付けて楽しみとして演奏しているものがあり(→演奏動画)、それに歌詞を新しく創作して付けたものが、本作の「双葉山甚句」だ。

四股、相撲甚句、双葉山のことを教わっているJACSHAの師匠、一ノ矢さんこと松田哲博氏(元大相撲力士・一ノ矢、元高砂部屋マネージャー、徳之島出身、琉球大学物理学部卒業)が、雑誌の連載「松田哲博の相撲道」(きらめきプラス)、「四股探求の旅」(月刊武道)に書かれている双葉山に関する記述、「わが回想の双葉山定次」(小阪秀二著)、「JACSHAフォーラム2020」を参照して創作した甚句である。双葉山のしなやかな相撲、脱力、土俵上での佇まい、昭和17年夏場所千秋楽で大関安藝ノ海にうっちゃりで勝った大一番、全く勝てない双葉山に対して、今日こそはと作戦を練って闘士を燃やして望んだ笠置山(かさぎやま)が、仕切りを繰り返すうちに、双葉山の無心で淡々とした仕切りに吸い込まれ、気持ちが浄化されていった無我の境地体験を、船や海の様子に例えた。また、実際にあった、沖縄からの江戸上りのを歌った、「上り口説」(ぬぶいくどぅち)の歌詞も引用している。沖縄の言葉で、チンチクは肩甲骨のあたり、ガマクは腰のことを指す。

「双葉山甚句」
ハァーエー
ハァー ドスコイ ドスコイ
脇を開いて かいなを返せば ヨー
ハァー ドスコイ ドスコイ

ハァー
鐘や太鼓も たんたんと
風やまともに うまひつじ
腹の奥から ゆるやかに
耳も毛穴も ひらかれた

自由奔放 千鳥足
押されて揺られて 心柱
波打ちぎわに 寄り立てる
沖のそばまで 呼び戻し
水もたまらず うっちゃれば

宇宙と チンチクガマクが ヨーホホホイ
ハァー つながった ヨー

ハァー
柳しなるや 二枚腰
天衣無縫の 立ち姿
潮が満ちれば 吸い込まれ
それがなんとも いい気持ち
心澄ませば 双葉山 双葉山
ハァー ドスコイ ドスコイ

 

賑やかに宴会が終わった後は、エンディング。糸満ハーレー歌のメロディが、弦楽アンサンブルでドラマチックに奏でられる。今までのことは夢だったのかなぁという思いと、次の旅路が始まるシーン。最後の最後に、相撲の(き、拍子木)のリズム、チョンチョンチョンチョン・・・・・チョーン、チョン、チョン、がクラベスで打たれて終わる。相撲はで始まりで終わる。南後船も一旦幕が閉じ、また幕が開けるのである。

『オペラ双葉山〜竹野の段』に続き、一生涯かけて全国各地で〇〇の段が展開される予定であるが、沖縄の段の夢もそう遠くないかもしれない。その時は、南後船の再演とともに、また新たな楽曲が創作され上演されるだろう

ところで、日本センチュリー交響楽団が企画している「ハイドン大學」にJACSHA野村と講師として出演したことがある。「ハイドンの交響曲を相撲を通して分析してみる」という画期的なテーマであった。翌月に演奏する3曲の交響曲を、相撲の観点で分析してみると、相撲とハイドンの共通点は想像以上に次々と発見できたのが驚きで、お客さん達もなるほどと聞いてくれた。面白いのでそれ以来、クラシック音楽を聞くときは相撲をイメージする癖がついている。そんな中、「南後船」の次に、下里豪志さんが演奏されたショパンのピアノ協奏曲第1番の二楽章が、双葉山のイメージとしてジワ〜っと体に染みこんでくるのであった。すっかり抜けなくなり、演奏会の翌日から毎日双葉山を思っては二楽章を練習し続けている。力んでしまっては絶対に奏でられない、風に拭かれるがまましなやかに揺れ動くパッセージ。「南後船」の演奏が素晴らしかったのは言うまでもないが、双葉山と二楽章の出会いは、琉球交響楽団第39回定期演奏会からいただいた宝物である。(2021.3.13 鶴見幸代)

 

「南後船」初演直後のカーテンコール  (舞台中央に鶴見)
歌三線の島袋奈美さん、棚原健太さんと鶴見。本番直前の舞台袖にて。三線で相撲甚句をカッコよくバリバリ歌えるのは、私たち三人のみ。

「オペラ双葉山」〜竹野からの船出

城崎国際アートセンター(KIAC)の2021-2022プログラム冊子に、去年秋のレジデンスで一緒に滞在した松田哲博氏(元・一ノ矢)が、「オペラ双葉山」〜竹野からの船出、と題し、竹野のこと、オペラ双葉山のこと、双葉山のことを寄稿くださっております!!(74-80ページ)

お手元にあるかたはもちろん、ない方はKIACホームページのprogram:2021-2022リンクから全ページpdfで見られるので、必読です!!
http://kiac.jp
55、56ページには、昨年のJACSHAのレジデンスレポとして写真も。これは、竹野で上演した「オペラ双葉山〜竹野の段」で竹野相撲甚句体操でトコードスコイドスコイを言ってるところですね。

オペラ双葉山については、JACSHAフォーラム2020「オペラ双葉山」とは何か?冊子も合わせてお読み下さい!お持ちでない方は下記リンクよりPDFで読めます。(欲しい方は送料負担いただければ郵送します)
http://jacsha.com/jacshaforum2020.pdf

3/7 四股1000 三百十五日目 完璧を超える

東京と京都から3名参加。安田登著「野の古典」の音読、鍼灸治療についての話、レッスンについての話、数字カウントなどで1000回。

本日は、鶴見幸代作曲のオーケストラ曲「南後船」が琉球交響楽団により世界初演になる日だ。鶴見は欠席だが、四股を踏みながら鶴見の本番の成功を祈るメンバーたちだった。「南後船」のオーケストラで相撲甚句と琉球民謡がどのように出会い、どのように響くのかを想像しながら踏む四股は格別だ。

声楽家のあかねさんは、近所の鍼灸治療院に通い始めたらしく、助手と院長で施術の強さや効きが違うらしい。

JACSHA野村は、相変わらず安田登著「野の古典」を読みながら四股を踏んだ。「源氏物語」についての音読に刺激されて、15歳年下の奥さんがいる友人の話など、いろいろな恋愛事情も語られた。また、地歌箏曲家の竹澤さんの友人の子どもは、小学生にして「源氏物語」を現代語訳ではなく原文で読むらしい。

箏曲家の竹澤さんは、昔、沢井一恵先生がレッスンで「完璧ですね。でも、この演奏をこれ以上にするには、どうしたらいいのかしら?」と禅問答のような言葉を受けたとのこと。完璧で甘んじるのではなく、完璧を超える演奏とは何なのか?先生から具体的な答えをいただいたわけではないが、そうした問いが竹澤さんの音楽人生に大きな財産になっていることは間違いない。