7/24 四股1000 八十八日目 七月場所六日目 相撲に合う音楽

 10名参加。東京、茨城、京都、大阪、福岡より参加。七月場所六日目序二段の取組を観戦しながら実施。イチロースタイル腰割り、2nd1stポジションで、ドゥミプリエ、ルルベ、グランプリエから開始。本日のカウントは、日本語の数字、取組実況、723日読売新聞朝刊文化欄「エンニオ・モリコーネ氏を悼む 映画を超えたメロディー」(大友良英)、「サイレンス」(ジョン・ケージ著、柿沼敏江訳)、葉っぱのフレディ、宮城道雄小曲集「みよしのは」、全員のカウントで1000回。

 相撲を見て四股を踏みながら、いろいろなカウント、お話を聞くのも面白くなってきた。地歌奏者の竹澤さんが三味線を鳴らした瞬間、相撲との相性に心が揺らいだ。JACSHA鶴見はすぐに酒が飲みたくなったという。相撲と三味線が合う感じ、これはどういうことなのか。鶴見はひょっとして文化的な先入観のせいもあるのかも、と言っていたが、ダンサーの砂連尾さんは、バレエなどの西洋音楽と体の動きが「合う」感覚というのは、音楽と動きが同期する方向に向かうが、相撲のテンポと即興的な足運びと三味線は、主と従の関係がなく、何事も起こっていないような感じで、余白や隙間を想起させ、ゆっくりと引き込まれるような感じ、という。abemaの相撲中継の幕内取組では、プロレス的な演出でBGMも流れるが、三味線が合うというのもいいねぇ、と文化生態観察家の大澤さんは言う。

 昨年12月にJACSHA野村と鶴見が、日本センチュリー交響楽団の企画「ハイドン大學」で、相撲を通してハイドンの交響曲を分析するということを行った。鶴見は楽曲のスコアを見たり音楽を聞くと、相撲の技や特定の力士、特定の取組が思い浮かんだので、ある楽章と千代大海や寺尾の突っ張りと合うと紹介された、音楽とビデオを同時に再生して見ると「合っている感じ」がしてとても面白かったが、確かにあれも同期の楽しさだ。敢えて音楽の自然な流れを分断して作られたような楽章と、炎鵬ー豊山戦の不思議な立ち合いと間合いのマッチングは、同期の楽しさと余白への引き込まれ感の両方があったとも言える。

 各地の格闘技では、例えばタイのムエタイや、ブラジルのカポエイラは競技中に音楽が演奏される。大相撲の取組中に音楽は演奏されない。相撲の音楽といえば相撲甚句があるが、取組中に歌われることはなく、独立した余興として行われる。「相撲節会」(すまいのせちえ)があった平安時代の頃は、雅楽が演奏されていたのかもしれない。鶴見は、かつて相撲で演奏されていたかもしれない音楽を想像して曲を作ったことがあるそうだが(「弦築」)、相撲の楽しみ方は様々あっていいのだから、四股1000をしながらいろいろ試してみたい。ラスト100回の全員カウントの時に、相撲を見ながら即興演奏してみようということになる。