7/8 四股1000 七十二日目 指揮者

 11名参加。東京、茨城、石川、京都、大阪、福岡、沖縄より参加。ルルベ、ドゥミプリエ、壁の股割り、腰割りから開始。本日のカウントは、四股瞑想甚句(鶴見幸代作)、「ワニのオーケストラ入門」(ドナルド・エリオット著)より、ピアノと指揮者、木村朝之助さんとJACSHAのトーク「岩槻と相撲と音楽2017」、「説経節」(伊藤比呂美現代語訳)、岸政彦「沖縄がひとつになるとき」(2018820日琉球新報)、松井茂短歌作品集(スローver.)、「軸とハラを鍛えれば必ず強くなる!」(高岡英夫著)よりスライサー、カエル探し中継、「翻訳できない世界のことば」(サンダース著、前田まゆみ訳)、インテグラル・ヨーガ(サッチダーナンダ著、伊藤久子訳)のカウントで1000回。

 四股瞑想甚句に出てくる歌詞〜四股の恵みに感謝する〜の「恵み」が「エグみ」と聞き間違ったことにより、エグみのある四股とはどんなものかを考察した。春先の野菜のエグみのような味わいの四股、アクのある四股、腿のあたりにエグみを感じる、脇からエグみが出る、クセになる四股。エグみとは、ワイルドな感じ、苦い、ピリッとする、独特の匂い、後から快感に繋ってクセになる(イタ気持ちいいとか)、などといった性質がある。70日以上も継続し、休みの日でさえ踏んでしまうほどクセになっているのは、四股ならではのエグみを感じ取っているのであろう。また、四股1000の四股は、自分なりの踏み方をするのが重要なので、エグみだったり、それぞれの四股に性格や味わいがあるのは自然なことだ。もっと四股を様々に形容出来るようになりたいものだ。

 指揮者と行司は似ている気がするが、「ワニのオーケストラ入門」と木村朝之助さんのお話を聞くと、両者には大きく違う点がある。指揮者は始まりの合図を出すが、行司は始まりの合図を出すのではなく、始まりを促す役割だ。人と人の間に入るのが行司の仕事だという。取り組み前は、力士と力士の間に立って、息を合わせていく。両者の比較をいろいろ想像してみると、指揮者は舞台の前面で客に背を向けているのに対し、行司は土俵の後ろ側で正面を向いているのが真反対で面白い。四股1000メンバーは音楽関係者が多いので、指揮者の話題になると、決して表立っては言えないアレやコレやで止まらなくなるが、「ワニのオーケストラ入門」のお話もかなりの辛口で、絵本になっているから面白おかしく読める。作品とは、そういうオフレコ話やタブーがきっかけになることは少なくない。ここに書けない四股1000話もいつしか形にしたいものだ。JACSHA樅山は、指揮者と一緒に四股を踏みたいと提案した。それはとてもいいことだと思う。四股が指揮になる四股ンダクターの実践はあるが、指揮者の四股は未経験だ。指揮者の指揮で四股を、指揮者の四股で四股を、指揮者の四股で演奏を、指揮者の四股と息を合わせた四股を。四股や腰割りは指揮にもいい影響があるだろうし、どなたかご一緒くださる方いらっしゃらないかしら。

四股ノオト
7/8 四股ノオト