6/27 四股1000 六十一日目 四股肯定感

 10名参加。東京、京都、福岡、沖縄より参加。ルルベ、ドゥミプリエ、壁の股割り、腰割りから開始。本日のカウントは、宮城県民謡「斎太郎節」、「軸とハラを鍛えれば必ず強くなる!」(高岡英夫著)より下丹田(ゲタンデン)、般若心経(伊藤比呂美現代語訳)、日本語の数字、「説経節」(伊藤比呂美現代語訳)、さいたまトリエンナーレ2016千秋楽での一ノ矢さんと呼出し邦夫さんとJACSHAの相撲聞芸術フォーラム「相撲道と作曲道2」より、呼出し道と相撲甚句の由来、わらべ唄・コーラス付(高畑勲作詞作曲)、ショパン「小犬のワルツ」、「アリになった数学者」(森田真生著)のカウントで1000回。

 沖縄ではクマゼミが鳴いている。JACSHA世話人里村はポーランドを教わったときに「ポーランド語はクマゼミみたいだから、クマゼミになるんだよ」と言われたそうで、確かにクマゼミはポーランド語に聞こえなくもない。関東ではクマゼミは聞かれないらしいが、静岡以西では聞かれるということを知る。沖縄の秋のクマゼミはシンセ音やサイレンのようらしいが、どのようなポーランド語なのか、秋の四股1000の楽しみが増えた。

 松平あかねさんが読んだ下丹田(ゲタンデン)。下丹田に意識がいくと、腹が据わるというように、上半身が自由になって、心が落ち着き、悩まなくなる。とか、松平敬さんが読んだ、般若心経の現代語訳では、あるものは全てない、老いて死ぬ苦しみがなくなることもない、など、ないない尽くしの教えを聞きながら四股を踏み続けると、いよいよすごい境地に入ってきた感がある。

 そして、ダンサーの砂連尾さんは、軸足の膝に体の重みが乗っかると、下腹に意識がしやすくなり、一踏み一踏みするごとに、嬉しい、喜び、幸せを感じるという。踏むたびに自分が肯定される。足を上げて下ろすことは、生きていくことを肯定すること。「自分なりの踏み方で、リラックスすること」というのが一ノ矢師匠からの大事な教えでもあるように、砂連尾さんも教え子たちに「あなた達の足跡を否定するものはない」と伝えているそうだ。JACSHA鶴見は、とても低かった自己肯定感が、四股1000を始めてから上がったという。こうした内省を人前では言いにくいものだが、躊躇しつつもカミングアウトできてしまうのが、四股のもつ自己肯定エネルギーの賜物なのかもしれない。JACSHA野村の「相撲道と作曲道2」の音読で、呼出し邦夫さんは、こういう声を出さなければいけないとは教わらなかったという。それはつまり、自分なりの呼び出し道を歩むことを肯定されているのだ。これらのことから、四股肯定感というか、四股1000道というべきものが見えてくる気がする。

 感想戦の間ずっと、ナナちゃんが右回りで旋回していた。子どもがぐるぐる旋回することは珍しくないと思うが、なぜ回るのだろう。それも右回りで。ブラジルやポーランドに旋回する踊りがあるという。北半球では流すトイレの水は右回りだというし、気象で言えば高気圧だ。JACSHA鶴見が鍵盤ハーモニカでカウントした「小犬のワルツ」は、四股が大変踏みずらく、上に向かっての運動になりがちだったが、石神さんは回りたくなったという。小犬のワルツは、右回りのようでもあり、左回りのようでもある、高気圧と低気圧が連続するような、不思議な回転音楽なのかもしれない。

 昨日、今日と、ナナ、七、蛇に関する奇遇な話題が多く出る。七月七日に生まれた、七月七日に挙式をあげた、蛇年生まれ、など。昨日からJACSHA鶴見は、隠れ四股たんの歴史を執筆し始め、旧暦七月七日と蛇と四股は関連があるらしく、今日の奇遇話からもまだまだ膨らませそうとのことである。

四股ノオト
6/27 四股ノオト