10名参加。東京、茨城、京都、大阪より参加。ルルベ、ドゥミプリエ、壁の股割り、腰割りから開始。本日のカウントは、宮城道雄「新古今集」より「うぐいすの」、日本語の数字、「グラウンド・ツアー:泥モノ」(藤森照信著)より、泥の建築、さいたまトリエンナーレ2016千秋楽での一ノ矢さんとJACSHAの相撲聞芸術フォーラム「相撲道と作曲道1」より、ピアノの腰割り、相撲甚句(カエル)、元素(軽い方から)、「軸とハラを鍛えれば必ず強くなる!」(高岡英夫著)より、熱闘力系の心田流、松井茂短歌作品集(ひー、ふー、みー)、全員のカウントで1000回。
昨日の四戸さんのお話『楽器演奏では、早弾きの練習も重要で、スロー練習だけだと手に入らないバランス感覚が整うことがある』をヒントに、カウント時の意識的なテンポチェンジを試みた。前の人のテンポに引き続き委ねても良いし、切り替えて早く/遅くする、担当の100カウントの中でテンポを変えるなどした。佐川流モデラートから50歩目以降ピウ・モッソ、アッチェレランドやリタルダンド、曲想に合わせての変化、テンポと共に朗読の声色も変化、アレグレットのままキープ、などが起こった。突然テンポが速くなると、一歩踏んだ後の裏拍で感じる揺り返しをどうしたらよいか迷ってしまって、あたふた。その後、いろいろなテンポチェンジに応じながら、速踏みの四股でも着地と揺り返しにだんだん慣れてくる。これで思い出すのは、バレエ公演に向けて、ずっと伴奏ピアノや音源に合わせて練習してきたバレエダンサー達が、本番前のリハーサルで、それまでは完璧に踊れていたのに、本番指揮者と初めて合わせるとき、テンポやタイミングの違いに体が付いていかず、小鹿のバンビちゃんのようにワナワナとした動きになってしまうことがある。今日の戸惑いはまさに小鹿のバンビちゃん状態になった。しかし、そんな焦りや戸惑いを超えて、1000歩踏んだ後の今日の汗の掻きかたは何か違う。
『テンポを変えることは、根源的な喜びに繋がる』と評論家の松平あかねさんは言う。例えば、身振り付きでの、子ども達との“アイアイ”、お年寄りとの“幸せなら手をたたこう”で、途中から高速にすると、突然はしゃぎ始め、テンションが上がって楽しくなる。オーケストラのファミリーコンサートでも同じ仕掛けで楽しむプログラムがある。テンポチェンジ四股稽古の、あたふたからの充足感は、まさに根源的な喜びであったのだ。いつもと違うことをしたときの新たな発見、そして原点にさえ戻ることができた。また、カウントをする人は指揮者になる。意識的なテンポチェンジとはどうすれば出来るのか。音楽家のメンバーは、日頃からの慣れで、変えようと思えば自ら変えられる体が出来上がってる感じがしたが、JACSHA世話人の里村は、電車の車窓から見える風景のリズム、ほふく前進などをイメージしたという。彼女の最近のカウントでは、大地を踏み鎮めるリズム、赤子をあやすリズム、鼓動のリズムと、四股に繋がるリズムの話を朗読してくれるが、いろいろな現象のリズムはどのようなのかとイメージを膨らまして同調し、四股を踏んでみるのはなんと素敵なことなのだろう。JACSHA鶴見は、相撲甚句や沖縄民謡などの歌でカウントをすることが多く、四股のテンポに合わせて選曲してきたが、これからは幅が広がるという。箏奏者の竹澤さんと澤村さんによる箏曲「六段」の、テンポチェンジを含んだ全段カウントも待ち遠しい。
松平あかねさんが朗読した熱闘力系の心田流(しんでんりゅう)とは、ダンサーの砂連尾さんの、脇の下から蛇がニューンと出てくるイメージ(6/14 四股1000 四十八日目脇と蛇 参照)であることに衝撃だ。心田流の解説では“脇から熱性のエネルギーを取り入れる身体意識”と書かれているが、出たり入ったりの双方向のエネルギーであるのだろう。本のイラストも、脇から蛇のような長い二本線で図解されている。歌手の舞台衣装などで、脇や腕のあたりから何本もの紐や糸が垂れ下がっていたり、羽のようなデザインのものがあるが、あれは脇エネルギーの可視化なのかもしれない。相撲の化粧回しやサガリにも共通点があるような気がする。
JACSHA野村が音読した「相撲道と作曲道1」は、3年半前のトークの書き起こしであるが、一ノ矢師匠は『四股は究極の人類の身体活性法』であるといい、JACSHA樅山は『音楽家にとっての四股は何なのかを考えていたが、四股そのものをするのがいいのではないか』と提案している。それを聞きながら今、四股を踏み始めて50日余り。三年先の稽古というが、三年後にこのレポートを読むのが楽しみだ。