や
(稽古休み)
Japan Association of Composers for Sumo Hearing Arts
や
(稽古休み)
8名参加。東京、茨城、京都、沖縄より参加。相撲実況、ポーランド語、足の不調の原因、体調と四股の関係(3人連続)、カウント、相撲実況、ポーランド語、双子・三つ子‥10人兄弟‥40人姉妹カウント、全員でのインプロヴィゼーションで1000回。
大相撲9月場所(秋場所)初日なので、abema TVで相撲を観戦しながらの四股。JACSHA野村とJACSHA世話人里村は、久々のホスト役+abema TVの画面共有をするので、「てんやわんや」であった。さいたまトリエンナーレ2016にJACSHAが参加した際に、JACSHAの「SHARS(相撲聞芸術研究室)」という展示室に書道の展示もしたが、その時の里村の書いた書も「てんやわんや」であった。JACSHAは欲深く、複数のものから取捨選択するのではなく、できるだけ複数を複数のままやろうとするので、「てんやわんや」になり、「土俵際」に追い詰められ、「四股錯誤」の日々だ。しかし、「三年先の稽古」と言うように、稽古を続ければ3年後にその成果が現れてくる。あの頃の「てんやわんや」があって、今がある。
JACSHA鶴見は、まさに土俵際で、アレンジの仕事の〆切をギリギリに抱え、昨夜徹夜をした状態で、本日はサイレント参加だった。地歌箏曲家の竹澤さんが、相撲中継を見ながらの四股に鶴見のマニアックな解説が挟まれないことを寂しく思うと残念がった。しかし、感想戦の途中で、アレンジをやり終え満面の笑顔の鶴見が現れた。横綱は休場しても、途中からでも出場してもらえたら嬉しいが、本場所は白鵬、鶴竜の両横綱が途中からでも出場することはないだろう。横綱は別格であり、神格化された存在で、この番付のシステムも別格の神をつくるためのシステムとも言える。人間として形成された人格も横綱になることで神格に変容することもある。横綱に任は重く休場も多いが、今場所両横綱の休場で横綱土俵入りが見られないのは、寂しいことだ。
JACSHAの里村がポーランド語の本を音読する声と相撲の呼出しの声が重なり合った瞬間は、意外な組み合わせの二重唱であった。声楽家のあかねさんが西洋文学について語る声と相撲の出会いも魅力的だった。これから場所中は、相撲と色々なものの出会いが楽しいだろう。また、「シコーレ」というポーランド語は、学校のことらしい。四股を踏みながら聞くと、ポーランドの中に四股にまつわる単語が聞こえてくる。
その後は、体調と四股の関係についての語りが3人連鎖した。1週間前に北斎バンドの本番をしたことで下半身の踏ん張りから足の不調を感じた竹澤さんは、もし四股をしていない状態で久しぶりの本番を迎えていたらどうなっていただろう?と言う。一方、最近、多忙で四股1000に休場が続いているあかねさんも、久しぶりの四股で体のむくみが内側から活性化し、四股の効果を体感したと言う。ピアニストの平良さんは、昨日、四股を休場したことと沖縄が暑いこともあり、モヤモヤするとのこと。今日は四股を踏んだので、モヤモヤも吹き飛んだことだろう。
竹澤さんが二巡目で、双子、三つ子、四つ子、五つ子、と数え始め、さらには10人兄弟、11人兄弟、と数え続け、35人姉妹、36人姉妹と数え、50人姉妹くらいまで数えて、それ以上はカウントしなかった。なんでも、アフリカなどで異母兄妹だと、50人くらいまではいるらしく、サンコンさんも40人くらいの兄弟姉妹がいるらしい。
最後の即興では、様々な声が入り乱れる中、野村はピアノを弾いた。相撲を見ながら演奏を始めた途端に広告になってしまう。以前、広告動画が出ると、鶴見がピアノのクラスターで広告に抗ったこともあったが、今では、広告が始まると、すぐに画面共有を停止し、abema音声をミュートするので、広告との共演はなくなった。
本日は休場であった声楽家の松平敬さんにそっくりな力士を見つけたことも大きな収穫だった。三段目78枚目の竹岡は尾車部屋で先場所序二段優勝で、見た目は松平さんの弟のようだ。身長は173センチ。松平さんの身長は何センチなのだろう?今後の活躍が期待される
番付表を作るのも行司の仕事だが、番付表を書く稽古として、本物の番付表を全て書き写すそうだ。写経をするように、写番付表をする。スコアからパート譜をつくる写譜という仕事はあるが、スコアそのものを写譜することは通常はない。音源を聴いて演奏を楽譜に書き起こすことはあるが、スコアそのものを書き写すことはない。スコアは読むものだと思っている。しかし、スコアを写譜する稽古もあるのだろう。里村は、小説を買うのではなく、それを全て書き写した経験があるが、写すことで学ぶことは多かったと言う。ただ読むのと書き写すのでは、得られる情報が全く違うのだ。
沖縄出身の呼出し重次郎は高校時代は相撲部だった。大きな体から発せられる大きな声を聞き、徹夜明けで仕事をやり終えた鶴見の満面の笑顔は日の出の陽光のように輝いていた。
7名参加。東京、茨城、京都、沖縄より参加。数字カウントのみの日。◯富士、◯本、ポーランド語、◯丹田、念仏風、ポーランド語序数詞、日本語、数字を表す符丁、◯じゃんぞーい、全員のカウントで1100回。
地歌奏者の竹澤さんは、ポーランド語でカウント。ポーランド語の数字を、この四股1000でJACSHA世話人里村によるカウントで覚えてしまった記憶力に感服である。今日も竹澤さんの豊かで広がりのあるカウントで踏むことができた。
JACSHA樅山は、◯丹田のカウントで、中心を意識した。JACSHA鶴見は丹田のあたりを手で触りながら踏んでみたところ、重心移動とともにお腹の中身も傾くのを感じたという。
JACSHA野村の念仏風は、子どもの頃から身近に聞いていたお坊さんの仏説阿弥陀経がベースになっているという。里村も浄土真宗の念仏を聞いていたので、野村念仏に共通点を見つけ、共感しながら二人で少し唱えてくれた。
JACSHA鶴見は、相撲大事典でしった、数字を表す符丁に挑戦。1へい、2びき、3やま、4ささき、5かたご、6さなだ、7たぬま、8やわた、9きわ。不思議な言葉が続く。
ピアニストの平良さんの気持ちよさそうなお家から、基地が近くにある騒音対策として、ガラスの障子やクーラーなどの設備が国によって施されていることを知る。平良さんとの四股1000によって、沖縄のことを知ることができるのも有意義だ。今はちょうどパパイヤが大きく実る季節。
やっちゃんは◯じゃんぞーいでカウント。粋な四股になる感じがする。明日は九月場所の土俵祭り。触れ太鼓は今場所も中止なので、呼出しさん達のじゃんぞーいは響かないが、初日、二日目の割が出て、いよいよ開催が近づきワクワクする。初日、東大関朝乃山は結びで遠藤戦。二横綱は休場のようである。
昨日、打楽器奏者の神田さんが提供した、大関朝乃山幟が国技館に立った写真を拝見し、四股1000メンバーも大いに盛り上がる。実物を見るのが楽しみだ。
8名参加。東京、茨城、京都、大阪、沖縄より参加。テーマトーク第3回目「私と相撲」のカウントで1040回。
千代の富士全盛の小学生の頃、何気に相撲をテレビで見ていたのが、相撲好きの土台である無意識の深層心理を築いた。保育園のころ、受け身がうまくできなかったので、武道の道を諦めた。今は四股を踏めるようになったので、次は受け身ができるようになるのが夢。(40) /巨人、大鵬、卵焼きの時代。たいていの家のテレビでは相撲が流れていて、物心がつく頃から相撲を見てきた。地元力士輪島を応援していた。引退後は冷めていたが、若貴で再燃した。(31) /小学生の頃、初めて見た相撲で輪島が勇み足で負けた。男子社会で生き抜くために、パワーだけじゃなくて勝てる相撲は魅力だった。体を大きくしたかったので、給食は最初におかわりをしていたため、早食いの癖がついた。(32.5-34.5) /吹奏楽部だった中学生の時、バルセロナオリンピックの柔道が熱く(古賀、吉田、やわらちゃん)、柔道漫画も流行っていたので、部活中に制服を着たまま柔道をするほどであった。高校では柔道部に入り、一度判定勝ちしたことがあるが負けが続き、服部桜にも共感する。(34.5-37) /9才の時に、オーケストラクラブでヴァイオリンをやっていたが、途中からコントラバスに変えさせられた。この頃から大きいものや強いものに興味が湧いたのかもしれない。大きくなりたかったし、ケンカもした。30過ぎから相撲好きの人と知り合い、相撲と楽器演奏は似ていると思ったので、今では意識して演奏している。(30) /相撲の世界はただ存在しているだけであったが、5年前に鶴見と家族親戚と沖縄巡業に行って、初めてライブで相撲を見たのが凄い経験で、力士の存在感の迫力が凄く、脳に刺激を受けた。沖縄での巡業は久しぶりだったので、テレビ取材が入り、土俵をバラしているのを間近で見ながら受けたインタビューが放映され、親戚から連絡もらった。(31.5) /千代の富士は小さいのに、大きい力士に勝つのは凄いと思ったが、相撲は面白いとは思わなかった。技量審査場所を観戦し、白鵬は綺麗だなと思った。JACSHA好き。(31) /鶴見と相撲を見に行ったら、方角や房のことなど、相撲の儀式に関する記号についてたくさん解説してくれた。音に感動した。相撲は謎に満ち溢れている。芸能フェチなので芸能として惹かれ、稀勢の里を好きになってしまった。琴欧州や琴奨菊も好きだった。(26-28)
※カッコ()内の数字は、話しながらの四股のテンポ。
輪島、貴ノ花、千代の富士、若貴といった、各時代を飾ったヒーロー力士が登場した。「力士という生き物」への称賛も。さいたまトリエンナーレ2016の「JACSHA式土俵入り」の時に、目の前でゴロンゴロン転がっている一ノ矢さんや大司さんを目の前で見た地歌奏者の竹澤さんは、人間は鍛えれば素晴らしい生き物となるのだと衝撃を受けたそうだ。鶴見はまた、一ノ矢さんに相撲道場を開いて欲しいと思っているらしい。
6名参加。東京、神奈川、茨城、京都、沖縄より参加。本日のカウントは、相撲大事典より角力〜角番、2016年11月21日JACSHAフォーラム「古式土俵入りについて」、月刊相撲9月号より、朝乃山インタビュー「悔しい気持ちが一番」、「村上かるた うさぎおいしい日本人」(村上春樹著)より、「キミがよくてもシロミがまずけりゃ」、日本語の数字(低)、「私と朝乃山」、のカウントで1000回。
JACSHA鶴見が連日カウントしている相撲大事典より、気になったワードは「隠れ星」「数を表す符丁」「勝ちみ」。
JACSHA野村が書き起こして音読をしているJACSHAフォーラムは、昨日から「古式土俵入り」について。さいたま市岩槻区の、釣上(かぎあげ)、笹久保(ささくぼ)の2つの地区に伝承されている行事「岩槻の古式土俵入り」(国指定重要無形民俗文化財)をリサーチしたのであった。同じ行事なのに、2つの地区の土俵入りの所作は違うように見えていたが、笹久保地区の所作を体にすっかり覚え込ませてから釣上地区のを見てみると、同じ楽曲の違う解釈の演奏であることが分かったのだった。JACSHAメンバーそれぞれにとって土俵入りとは何か?の質問に対して野村は、子供の頃は地面に丸を書いて相撲をとった、土俵は与えられるものではなく、自分で作るもの、と答えた。いいこと言う。(詳細は、野村誠の作曲日記「重陽の相撲聞芸術」参照)。フォーラムはもう4年前であるが、今聞いても、どの回もいいこと言っている。毎日書き溜めているこの四股1000日記も、3年先の稽古のつもりで綴っているので、後から読むのが楽しみであるし、何よりも大きなモチベーションは、四股1000自体がそもそも創造の場になっており、この日記はJACSHAにとって現在進行中の壮大なプロジェクトである「オペラ双葉山」の源流となりうるからである。
地歌奏者の竹澤さんは、朝乃山のインタビュー記事を、インタビュアーと朝乃山とを声色を変えて音読。さすが地歌浪曲の開拓者である。打楽器奏者の神田さんは「私と朝乃山」と題して、朝乃山への思いと最近の熱烈なアクションを語った。大変感動的であった。神田さんは稀勢の里の音楽作品を作ったり、朝乃山へのアクションといった「今」を描くアーティストであることに対し、野村は最近高砂浦五郎の作品を発表したこともあり、昔の力士との魂の交流をし、歴史物は好きであるので、過去のことを掘り下げて、時代を超えたコラボレーションをする方なのだろうと言った。野村誠といえば、まさに「今」を芸術化する巨匠のイメージがあるが、単に歴史モノにはとどまらず、北斎漫画の音楽作品もあるように、「今」がはみ出ていって過去に影響を与えてしまう芸術創造の道が、新たに開かれてきたのかもしれない。鶴見は今年の三月場所後から、毎場所の朝乃山についての相撲甚句を作り続け、九月場所も今から作る気満々だという。
8名参加。東京、茨城、京都、沖縄より参加。本日のカウントは、相撲大事典より顔が合う〜角觝(かくてい)、2016年11月21日JACSHAフォーラム「呼出しについて」「古式土俵入りについて」、日本語の数字(普、四股相撲、メロウ)、月刊相撲9月号より、やくみつるの「第二代おチャンコくらぶ」、式秀部屋その後フリートーク、全員のカウントで1000回。
JACSHA鶴見が連日カウントしている相撲大事典より、気になったワードのひとつ、「角觝」(かくてい)。『古代中国で力や武芸の技量を比べる格闘技を意味した。(中略)角觝の文字は、奈良時代に「相撲」「角力」の文字と前後して日本に伝わったが、日本では「相撲」の文字が多く使われ、現在に至っている。』と書かれている。JACSHA野村が、「中国芸能史」(傳起鳳、傳騰龍 訳:岡田陽一)にある、角觝図を見せてくれたが、ひらひらとした衣装を着けて、向かい合っている二人が、四股を踏んでいるような姿に見える。さらに事典で「相撲」(すもう)を調べてみると、『「角觝」は明治時代中期まで、「角力」は大正時代末期まで用いられ、現在は「相撲」の文字に統一されている。』とある。ということは、「相撲」だけにとらわれず、多様な「すもう」を表す文字がもっとあっても良いのだと思うと、すもうの世界がグッと広がる感じがする。
ピアニストの平良さんが、「初代高砂浦五郎~高砂浦五郎を賜るの段」の動画を見た感想を話し、野村は作曲秘話を教えてくれた。初演者の地歌奏者の竹澤さんも四股1000に参加しているので、竹澤さんの日々のいろいろなカウントの声を、毎日のように聞いていたことも参考となっていたり、四股を踏みながら作曲した、四股テンポの歌があることは面白かった。作品には触れ太鼓でもお馴染みの江戸言葉「じゃんぞーい」も登場する。「じゃぞい」「じゃぞえ」などとも使われる、現代で言えば「です」「だぞ」のような意味の言い回しだ。杵屋正邦作品「邦楽落語 がまの油」にも、力士呼び上げシーンには「じゃんぞーい」が付けられている(楽譜には、「角力の呼出し風に」と書いてある)。杵屋正邦氏も「じゃんぞーい」を聞いたことがあるのだ。今は、呼出しさんが触れ太鼓の初日の顔ぶれ口上のときにしか「じゃんぞーい」を聞かないが、かつてはいろいろな機会で言われて、今よりポピュラーだった可能性がある。
JACSHAの「じゃんぞーい」との出会いは5年前の9月場所触れ太鼓の時。相撲部屋、お店、個人宅など、国技館近くのエリアを回る触れ太鼓チームを追って見学させてもらった。はじめての言葉に衝撃を受け、「じゃ…?何と言ってるのですか?」と呼出しさんに質問した記憶がある」。「相撲が明日は、初日じゃんぞーい」のイントロ口上に続き、初日の取組の対戦力士を「◯◯には◯◯じゃんぞーい」と呼び上げて紹介する。コーダは「ご油断では詰まりますぞーい」。威勢よく「じゃんぞーい」や、「ぞーい」を付けて、お客さんを惹きつけていく、相撲興行の活気ある宣伝だ。これ以来、「じゃんぞーい」の虜になり、JACSHA式土俵祭りでも大胆に展開している。一方で、行司さんによる土俵上での顔触れ言上では、「はばかりながら、明日の取組をご披露つかますります〜」との格式高い口上にはじまり、対戦力士の言い方は「◯◯には◯◯」だけで、「じゃんぞーい」は付けられない。コーダは「右、相つとめまする間、明日もにぎにぎしく<柝>、おいでをお待ち申し上げたてまつります〜」。「じゃんぞーい」の「じゃ」もなく、始終威厳と格式をもった様式で行われる。伝承された時代背景の違いもあるかもしれない。こうした、取組の紹介だけでも、呼出しと行司ではかなり違うスタイルがあり、それぞれの役割がよく見えて面白いのも、相撲文化の魅力である。
竹澤さんは、「初代高砂浦五郎~高砂浦五郎を賜るの段」初演の記事が、なんとベースボールマガジン社の月刊相撲9月号に掲載されたので、記念に購入した本誌から、やくみつるの漫画「第二代おチャンコくらぶ」でカウント。今年は、幕尻力士か横綱のどちらかが優勝する、という異例の年となっているが、今場所も幕尻の逸ノ城が優勝したら、それはとんでも凄いことになる。かつては横綱昇進も期待されていたほどの怪物力士であるから、可能性は全くないとは言えないだろう。
や
(稽古休み)
7名参加。東京、神奈川、埼玉、茨城、京都より参加。本日のカウントは、相撲大事典よりうるさ負け〜かえり入幕、2016年11月21日JACSHAフォーラム「呼出しについて」、月刊相撲5月号附録全相撲人名鑑より境川部屋吉野〜高田川部屋松ヶ島、鶴の恩返し、日本語の数字(若尾文子、魚屋)、譜読み、全員のカウントで1000回。
昨日からJACSHA鶴見が読み始めた相撲大事典の、今日の気になった語句は「江戸の大関より土地の三段目」。大関よりも地元出身の下位力士のほうを応援した、郷土ファン気質を表現した言葉。
JACSHA野村が書き起こして音読をしているJACSHAフォーラムは、質疑応答の続き。作曲家として相撲のどこに惹かれるのかというシメの質問に対して、野村は「相撲の謎に突っ込んでいくことが、また新しい音楽の謎に突っ込んでいくことである。呼び出しさんが一斉に集まってみんなで歌ったらどうなるだろうってことを考えただけでも、いろいろ空想するとつきることはない」、JACSHA樅山は「聖と俗を自由に行き来するような音楽を作りたい」、鶴見は「相撲取りという職業に惹かれる」と答えていた。昭和の頃、男子が通過儀礼として相撲を取って成長していったように、JACSHAも謎解きのための通過儀礼、イニシエーション中であるのかもしれない、という結論でこの回のフォーラムは終了した。野村は隅田川沿いのホテルをチェックアウトして本番会場へ向かった。
呼出しハンコ職人のサトさんによる、全相撲人名鑑カウントは、遂に佐渡ケ嶽部屋の「琴責の段」を迎えた。(詳しくは、8/30 四股1000 百二十五日目 動物の四股祭参照)。相撲部屋の中で最高人数37名の現役力士全ての四股名に「琴」がつく。高砂部屋の「朝責の段」も。23名中18名の四股名に「朝」が付く。
四股1000は、カウントする人のテンポで四股を踏んでいくが、そうじゃなくてもよい。打楽器奏者の神田さんは、やっちゃんが読む「鶴の恩返し」中は、5カウントで3回くらいと、ちょっと遅めに踏んでいたそうだが、例えば北の湖スタイルのストレッチ付き四股で、非常にゆっくりじっくり踏み続けるなど、参加者それぞれのテーマに沿って踏み、四股1000そのものがポリリズム四股となるのは、相撲部屋の四股の稽古風景と近くなるのではないかと気づいた。佐川流四股をベースに、そろそろ自分の四股スタイルが見つかる時期なのかもしれない。
7名参加。東京、神奈川、埼玉、茨城、京都、新幹線より参加。本日のカウントは、相撲大事典より合口(あいくち)〜売り込み、月刊相撲5月号附録全相撲人名鑑より大嶽部屋吾郎〜境川部屋大石、いろはにほへと、「説経節」解説(坂口弘之)、足裏のツボ、日本語の数字(餅)、全員のカウントで1000回。
JACSHA鶴見は、昨日のページめくり四股に触発されて、相撲大事典の最初の語句から読み上げるカウント。初めて聞く語句もあり、印象深かったのを紹介。「一段違えば虫けら同然 一枚違えば家来のごとし」。番付によって待遇がガラッと変わる相撲界の厳しさを表した文句だ。次に「あんこ型」。丸々とした力士を「あんこ型」というが、アンコウの丸い腹から連想された表現である。しかし、鶴見はずっと、まんじゅうのあんこのことだと思っていたらしい。それに対して「ソップ型」は、筋肉質で痩せ型力士のこと。さらに「ソップ」とはオランダ語で「スープ」のこと。事典を手元に置いておくと、関連した言葉をどんどん調べてしまう。JACSHA事典もいいかもと、JACSHA野村から提案がある。
評論家の松平あかねさんは、足裏のツボについてカウント。四股は足裏と地面の対話でもあり、足裏への意識は大変重要だ。足の指の付け根にも、目や耳のツボがあるのだが、小指の付け根が地面に付きにくいなど、四股の一歩ごとに足裏の細かなところに気付いていく。
野村は、京都から東京へ向かう新幹線から参加。椅子に座りながらの四股、首を左右に振りながらの首四股をしていた。そろそろ富士山が見えるだろうか?と言ったところで、富士山という四股名があるかどうかの話題になった。過去現在と、富士櫻、千代の富士など、四股名の一部に「富士」が入る力士は多く、9月場所の現役力士では24名いる(うち14名が伊勢ヶ濱部屋)。富士山そのものを調べてみると、1名いらっしゃった。富士山(ふじやま)。山口県出身、宮城野部屋。昭和34年5月初土俵、最高位三段目の力士だ。本名の藤山から富士山となったようである。ずばり「富士山」そのものが四股名になるのは勇気がいることだろう。これまで1名しかいないのが、日本一の最高峰の山の名前をおいそれと四股名として付けられない、と想像する。筑波山(つくばさん)は、江戸時代から昭和にかけて3名いた。現役力士には、9月場所で初土俵から3場所目となる立浪部屋の筑波山(つくばやま)がいる。茨城県つくば市出身。18歳と若いので、これから大いに活躍して欲しい。
8月9日に世界初演されました、JACSHA野村が作曲した「初代高砂浦五郎~高砂浦五郎を賜るの段」の演奏動画が公開されました!
浪曲地歌「初代高砂浦五郎~高砂浦五郎を賜るの段」
原作:松田哲博、作曲:野村誠、地歌三味線:竹澤悦子