9/4 四股1000 百三十日目 「腰割り」ワードの普及

 4名参加。茨城、京都、沖縄より参加。数字カウントのみの日。◯腰、インドネシア語、オランダ語、◯日目、ポーランド語、◯ページ、英語と日本語(笑い付)、◯テッポウ、900年から1000(西暦)、のカウントで1000回。

 JACSHA野村は、500から600のカウントの時に、「能楽源流考」(能勢朝次著)という分厚い本(1000ページ以上ある)を持ちながら、501ページ、502ページ、といった要領で、11ページずつめくっていく。ものすごい速読法であるが、見出しだけでも目に入ると違うらしい。この本は、タイトルにあるように、能に関する本であるが、第1ページは、一章「平安時代の貴族的猿楽」⒈「相撲節会の散楽」から始まるそうだ。

 JACSHA鶴見は「相撲大事典」(現代書館)を引っ張り出してみると、全部で500ページ。速読四股を真似してページをめくっていくと110ページで止まった。「腰割り」が目に入ったのだ。毎日腰割りをして研究しているのに、相撲大事典で調べたことがなかったことに気づき読んでみた。以下引用:

【腰割り】中腰の構えで両足を広く開き、膝を曲げて腰を落とした姿勢、またはその姿勢をとる稽古のこと。太ももを両手で押したり腕組みをして、腰をできりだけ下ろし、重心を低くしても体勢が崩れないように下半身を鍛える運動で、稽古の基本の一つである。「相撲大事典」(金指基著、日本相撲協会監修、現代書館)より

 鶴見は、親方、力士、元力士の多くが、腰割りのことをスクワットと言い換えているのが気がかりだという。昨日の相撲協会のツイートには「スクワットをする正代」として、腰割りをしている正代の写真が投稿されていたという。引退した力士や親方衆がトレーニングとして腰割りを紹介しようとするとき、腰割りと言いたそうだけど、わざわざスクワットと言い換える経緯が一瞬垣間見えることもあるという。

 一ノ矢さんは、著書の中で、「腰割りとスクワットは全く違う」、「時代は腰割りを求めている」「腰割りでメタボ対策」などと、徹底してスクワットではなく腰割りを提唱している。以下の著書がある。

元・一ノ矢/マツダキョウコ「股関節を動かして一生元気な体をつくる」(実業之日本社)

元・一ノ矢「お相撲さんの腰割りトレーニングに隠されたすごい秘密」(実業之日本社)

元・一ノ矢「股関節がみるみるゆるむすごい腰割り体操」(実業之日本社)

インターネットの記事もある: 47歳まで現役だった力士に学べ シコ踏みで股関節を動かそう

https://www.asahi.com/relife/article/11763204

 なぜ多くの人がスクワットと言い換えてしまうのか。似た言葉で「股割り」はあるが、「腰割り」に比べて大変知られた言葉である。お相撲さんが股割りをするときのインパクトが大きいこともあるだろう。一般的には「開脚」とも言い換えられる。「腰割り」は知名度が低く、スクワットの方が一般的に浸透している用語であるので、言い換えてしまうのだろうか。「腰割り」はきちんと説明しようとすると奥深いため、手っ取り早くスクワットと言ってしまうのか。体を緩めどこにも力みのない純粋な腰割りでなく、負荷をかけて筋肉も鍛えたいので、腰割りとスクワットの効果をどちらも兼ね備えるトレーニング、腰割りの多様性としてスクワットと言う(相撲スクワットとも言われる)。などの理由が考えられる。

 とはいっても、もう少し「腰割り」という用語が使われてもいいと思うし普及したい。北斎漫画にも見られるように、古くからある素晴らしい体の使い方だからだ。また、「腰割り」という言葉が使われなくなったら「腰割り」自体もなくなりそうで不安である。そうこう考えるうちに、いつの時代から「腰割り」という用語が使われ始めたのかも気になってくる。

四股ノオト
9/4 四股ノオト

9/3 四股1000 百二十九日目 蚊

 7名参加。東京、茨城、京都、沖縄より参加。一週間前の8/27木曜日に引き続き、テーマトークカウント第2回目。本日は、「最近体のことで気づいたこと」について話しながら、テンポ40-421200回。

 ピアノのレッスンのウォーミングアップで手首をグルグル回すときに、やりやすい方とやりにくい方がある。/逆流性食道炎で、胃酸が上がってくるのを止めなければならないが、四股では苦しくならない(下に落ちるような感じ)。/新月や満月の日は、精神的に落ち着かなくなる事が多い。昨日は単なる満月ではなかった。四股でポジティブになっているのを体感した。/四股で体が死んでいるところを気づきやすくなった。鼻が弱くグズグズするので、台風や熱帯低気圧のときに、呼吸が浅くなったり眠くなることがある。足裏が地についている感じがする。腰回りはまだ分からない。/体と心の距離がある感じがするのはなぜなのか?と考えるようになった。/四股1000はダイエットには効果がないことを実感している。四股の要領で階段を上っている(片足段差四股)。髪の毛の色で気持ちも変わる。/最近蚊に刺されるようになった。

 蚊のトピックから、メンバーそれぞれも蚊について話し続けた。32才くらいから蚊に刺されるようになり、33才の頃、藪に入ったときに全身ビッシリ刺されてしまい発熱したほどであった。/蚊に刺される箇所は、お灸を据える位置と合致するので、蚊は体を治療しているともいえる。/蚊はドライヤーなどの熱で解毒することができる。/音がいやだ。/血液型による。/足裏の菌による。

といった、いかに蚊と人間の生活が密接に関わっているのかが伺える、今の季節に相応しいトークであった。

9/2 四股1000 百二十八日目 四股ゾンビ

 4名参加。東京、茨城、京都より参加。夢の話から開始。本日のカウントは、四股1000メンバーによる七股相撲甚句、創作数字、日本語の数字、コンサートでのコロナ対策に関する観客への周知事項、仲順流り、英語の数字、陽気に歌いながら◯四股、50カウントずつ:◯メートル降順、マイナス◯メートル昇順、英語でマイナス◯メートル降順、◯キロ昇順、のカウントで1000回。

 夜に見た夢の話をした。昨日から夢の話をする人が多いらしい。昨日から今日にかけて満月なので影響があるのかもしれない。JACSHA鶴見は昨日も今日も相撲関連、JACSHA樅山はゆうべ四股関連の夢を見た。

 四股1000は一人100ずつをカウントし、1000回になるまで回していくが、今日は4名参加だったため、ラスト20050ずつカウントした。鶴見はテッポウしながら50メートル、49メートル…0メートルと1メートルずつジワジワ近づいてくる。続くやっちゃんは、マイナス1メートル、マイナス2メートルと離れていく。続く樅山は英語で再び近づいてくる。ちょっと怖い夢の話を引きずりつつ、ウォーキングデッドのように、四股ゾンビが近づいてくるようなホラーな雰囲気を鶴見は味わったそうで、続く地歌奏者の竹澤さんの◯キロカウントは体重を想起したり、サザエさんや笑点のような陽気なメロディで、◯四股です♫と楽しく歌いながらのカウントもしてくれて、いつもよりは少ない参加人数だったが、なかなかエンターテインメント性に富んだ四股1000となった。本日は感想戦をやらずに終了。

9/1 四股1000 百二十七日目 軽トラから聞こえる祭りの音

 8名参加。東京、神奈川、茨城、京都、沖縄より参加。神田佳子幟歌より開始。本日のカウントは、四股1000メンバーによる七股相撲甚句、20161121JACSHAフォーラム、大相撲九月場所幕内番付、日本語の数字、創作数字、2020831日琉球新報「旧盆の道ジュネー」、英語の数字+shiko、サイレントジェスチャー数字、全員のカウントで1000回。

 JACSHA野村が音読するフォーラムは、相撲の魅力に関する質疑コーナーの続き。各地域の相撲行事には、100%神事のものがあるが、大相撲は100%神事ではなく、聖なるものと俗なるもののバランスや、両者が入れ替わったり行き来することが魅力の一つだと語られる。野村はタイの行事に行った時、人々が楽しめるようにと、ポップス音楽が流れ始めたりした、聖と俗が行き来する行事の経験談を紹介していた。

 やっちゃんは、1四股、2四股…10(とう)四股、とうと◯四股にとうと◯四股、さんとうと◯四股、よんとうと◯四股、ごとうと◯四股、むとうと◯四股、なとうと◯四股、やとうと◯四股、きゅうとうと◯四股のように、数字を創作。JACSHA樅山は、one shiko, two shikoと、英語の数字に不可算名詞としてshikoを付けたカウント。アメリカン英語で、素早いテッポウの腕の動きを伴った樅山の四股は、潔くキレがあってかっこよかった。評論家の松平あかねさんは、音声が聞こえなかったため、指を折りながらの全力ジェスチャーアピールで無音カウント。ジェスチャーを見ながら共感と同調しながらの四股は、コミュニケーションとして楽しい四股時間であった。数のカウントでもさまざまな四股が生まれる。

 まさに台風9号通過中の沖縄から参加の、ピアニストの平良さんは、昨日の琉球新報紙面から、エイサーの「道ジュネー」についての記事を音読。沖縄は昨日から明日まで旧盆期間だ。旧盆では「エイサー」という芸能で先祖供養をする。太鼓を叩きながら演舞し、歌三味線がエイサー音楽を演奏する。エイサーは、各地域の広場などで行われるほか、演舞をしながら街中を練り歩き、家々を回る「道ジュネー」というスタイルで行われる。毎年エイサー練習期間からお盆中は、エイサーのサウンドスケープが沖縄の人の心をウキウキさせるが、今年はコロナの影響で中止が多く、エイサーの音が聞こえず寂しいお盆となっているそうだ。それでもなんとか今年もエイサーで、ご先祖様も生きている人も元気になってもらおうと、インターネットで動画を配信したり、軽トラックで音源を流して街を回るなど、各地域ごとに工夫を凝らしている。通常の道ジュネーでは、葉っぱやお花で装飾された軽トラックに、歌三線の奏者が乗って演奏し、演舞とともに移動していくのだが、ほかの沖縄の行事でも、軽トラックから聞こえる音で祭りを知ることがある。旗頭(はたがしら)の演舞地への移動で、軽トラックに乗った演舞者達のサーサーサーサーの掛け声と、鐘を鳴らしながらの音が聞こえると、秋になったな〜と思うそうだ。人々が集って祭りがしにくい今は、沖縄の軽トラック音楽によるサウンドスケープは参考になるかもしれない。音が聞こえただけでも心は祭り気分になり、高鳴るものである。行事と祭りと音の結びつきが大事であることを、こうした情勢の中で改めて気づかされる。