8/30 四股1000 百二十五日目 動物の四股祭

 8名参加。東京、神奈川、埼玉、茨城、京都、大阪より参加。1st2ndポジションで、ドゥミプリエ、グランプリエ、ルルベの繰り返し、腰割りとイチロースタイルの肩入れから開始。本日のカウントは、四股1000メンバーによる七股相撲甚句、月刊相撲5月号附録全相撲人名鑑より伊勢ノ海部屋漣〜大嶽部屋吾郎、20161121JACSHAフォーラム「呼出しについて」、日本語の数字(普、with風船、重)、川の流れのように(四股1000ver.)、◯四股、全員のカウントで1000回。

 呼出しハンコ職人のサトさんは、全相撲人名鑑から、親方、力士、行司、呼出し、床山などを次々と呼び上げていくが、追手風部屋が大変そうだった。大翔◯◯という四股名が何人も続くからだ。佐渡ケ嶽部屋も大変そうだということで、地歌奏者の竹澤さんは、義太夫や歌舞伎の演目「壇浦兜軍記」(だんのうらかぶとぐんき)にある、「琴責の段」(ことぜめのだん)のことを教えてくれた。阿古屋(あこや)姫が、ウソ発見器として、琴、三味線、胡弓を弾かされ、音に迷いがなければ潔白を証明できるシーン。楽器がウソ発見器になるというは面白い。阿古屋役の演者が楽器を演奏する、見せどころのシーンである。迷いがない四股を踏むことで、潔白を証明する踏み絵の段も、隠れ四股たん取締奉行にある。今日は大翔責の段であったのだ。そのうちやってくる琴責の段が楽しみだ。風責の段、千代責の段、朝責の段もある。

 JACSHA野村が連日音読をしている20161121JACSHAフォーラム「呼出しについて」。昨日の続きで、相撲の魅力は、見せるために「演出」されたものと「はだか」であることの絶妙なバランスがたまらない、と観客の質問に応えていた。こうして、JACSHAフォーラムは、なぜ相撲なのか?相撲は神事であることについて、などの根本的な問いに答え、JACSHAについてさまざまな視点から網羅された内容になっているので、フォーラムが行われた展示室「相撲聞芸術研究室SHARS」の資料とともに、まずはJACSHA本を作るのはどうだろうと、JACSHA樅山から提案があった。

 打楽器奏者の神田さんは、下半身がよく見える、足元から舐めあげるようなグラビアアングルのカメラ位置。迫力のある親方アングルと言ってもいいかもしれない。野村、鶴見、竹澤さんも同調してカメラ位置を調整。オンラインの画面に四股姿全身を映すのは、部屋の大きさの兼ね合いなどから簡単にはいかない。上半身だけの人、首から下の人、人によって映り方は違う。神田さんの親方アングルは、今日はそこにしかカメラを置くところがなかったのが理由だが、下半身がよく見えると四股の参考になるのは間違えなく、樅山は鶴見の四股、腰割り、五角形が綺麗だった、先日あかねさんが、四股1000PRビデオと最近の四股は違うように見えると言っていたが、上達しているのかもしれない、と話した。鶴見や竹澤さんは、師匠からの指導が転機になって、意識が変わったという。鶴見は軸足の膝を伸ばすこと、竹澤さんは、内くるぶしからスネにかけて体重が乗っかるようにする、という教えを意識しているという。時々師匠から教えをいただくことは大事なのだと実感する。

 やっちゃんとナナちゃんは、昨日、今日と、カラフルな瓢箪型の風船を楽しそうに振りながら四股を踏んでいた。鶴見も影響されて、帽子、人形、紙の軍配を手にしながら踏んでいた。手に何かを持って四股を踏むのは楽しいそうである。軍配には、カンガルーの親子による横綱土俵入のイラストが書かれていた(西濃運輸キャラクター)。風船や人形、動物をヒントにした、子ども向け四股企画は楽しそうである。野村は大きいパンダの人形を持っており、どこかの動物園にいるかもしれない、パンダ流四股をシミュレーションした。 7月に行った「とよおかアート縁日」での「すもう×おんがくワークショップ」のように、15分番組だったら動物の着ぐるみを着たまま四股が踏めるだろうか。サン=サーンスの「動物の謝肉祭」や、ブリテンの「青少年のための管弦楽入門」を参照し、「動物の四股祭」、「青少年のための四股楽入門」などの、四股教育エンターテイメントとしての音楽作品作りも楽しそうである。