6/27 四股1000 六十一日目 四股肯定感

 10名参加。東京、京都、福岡、沖縄より参加。ルルベ、ドゥミプリエ、壁の股割り、腰割りから開始。本日のカウントは、宮城県民謡「斎太郎節」、「軸とハラを鍛えれば必ず強くなる!」(高岡英夫著)より下丹田(ゲタンデン)、般若心経(伊藤比呂美現代語訳)、日本語の数字、「説経節」(伊藤比呂美現代語訳)、さいたまトリエンナーレ2016千秋楽での一ノ矢さんと呼出し邦夫さんとJACSHAの相撲聞芸術フォーラム「相撲道と作曲道2」より、呼出し道と相撲甚句の由来、わらべ唄・コーラス付(高畑勲作詞作曲)、ショパン「小犬のワルツ」、「アリになった数学者」(森田真生著)のカウントで1000回。

 沖縄ではクマゼミが鳴いている。JACSHA世話人里村はポーランドを教わったときに「ポーランド語はクマゼミみたいだから、クマゼミになるんだよ」と言われたそうで、確かにクマゼミはポーランド語に聞こえなくもない。関東ではクマゼミは聞かれないらしいが、静岡以西では聞かれるということを知る。沖縄の秋のクマゼミはシンセ音やサイレンのようらしいが、どのようなポーランド語なのか、秋の四股1000の楽しみが増えた。

 松平あかねさんが読んだ下丹田(ゲタンデン)。下丹田に意識がいくと、腹が据わるというように、上半身が自由になって、心が落ち着き、悩まなくなる。とか、松平敬さんが読んだ、般若心経の現代語訳では、あるものは全てない、老いて死ぬ苦しみがなくなることもない、など、ないない尽くしの教えを聞きながら四股を踏み続けると、いよいよすごい境地に入ってきた感がある。

 そして、ダンサーの砂連尾さんは、軸足の膝に体の重みが乗っかると、下腹に意識がしやすくなり、一踏み一踏みするごとに、嬉しい、喜び、幸せを感じるという。踏むたびに自分が肯定される。足を上げて下ろすことは、生きていくことを肯定すること。「自分なりの踏み方で、リラックスすること」というのが一ノ矢師匠からの大事な教えでもあるように、砂連尾さんも教え子たちに「あなた達の足跡を否定するものはない」と伝えているそうだ。JACSHA鶴見は、とても低かった自己肯定感が、四股1000を始めてから上がったという。こうした内省を人前では言いにくいものだが、躊躇しつつもカミングアウトできてしまうのが、四股のもつ自己肯定エネルギーの賜物なのかもしれない。JACSHA野村の「相撲道と作曲道2」の音読で、呼出し邦夫さんは、こういう声を出さなければいけないとは教わらなかったという。それはつまり、自分なりの呼び出し道を歩むことを肯定されているのだ。これらのことから、四股肯定感というか、四股1000道というべきものが見えてくる気がする。

 感想戦の間ずっと、ナナちゃんが右回りで旋回していた。子どもがぐるぐる旋回することは珍しくないと思うが、なぜ回るのだろう。それも右回りで。ブラジルやポーランドに旋回する踊りがあるという。北半球では流すトイレの水は右回りだというし、気象で言えば高気圧だ。JACSHA鶴見が鍵盤ハーモニカでカウントした「小犬のワルツ」は、四股が大変踏みずらく、上に向かっての運動になりがちだったが、石神さんは回りたくなったという。小犬のワルツは、右回りのようでもあり、左回りのようでもある、高気圧と低気圧が連続するような、不思議な回転音楽なのかもしれない。

 昨日、今日と、ナナ、七、蛇に関する奇遇な話題が多く出る。七月七日に生まれた、七月七日に挙式をあげた、蛇年生まれ、など。昨日からJACSHA鶴見は、隠れ四股たんの歴史を執筆し始め、旧暦七月七日と蛇と四股は関連があるらしく、今日の奇遇話からもまだまだ膨らませそうとのことである。

四股ノオト
6/27 四股ノオト

6/26 四股1000 六十日目 ナナ

 6名参加。東京、京都、大阪より参加。ルルベ、ドゥミプリエ、壁の股割り、腰割りから開始。本日のカウントは、親子で前後に並んでのカウント、さいたまトリエンナーレ2016千秋楽での一ノ矢さんと呼出し邦夫さんとJACSHAの相撲聞芸術フォーラム「相撲道と作曲道2」、親子で手をつないでのカウント、「説経節」(伊藤比呂美現代語訳)、ヴァイオリン属の弦の種類、箏曲「六段」より初段の口唱歌、わらべうた(50踏)、7を強調するナナカウント(50踏)、インドネシア語(50踏)、「説経節」(50踏)、コントラバスで「相撲甚句」演奏(50踏)、「般若心経」超早読み(50踏)、全員のカウントで1000回。

 ナナは七月七日に生まれてナナという名前になったが、野見宿禰と当麻蹴速が相撲をとったのは七月七日と伝えられていて、相撲節会も始められた8世紀には七月七日に行われていた。親子で前後に並んでの四股で、石神さんの5角形の背後でナナちゃんの小さな5角形が内包されて見える二重5角形が美しい。

 JACSHA野村の「相撲道と作曲道2」の音読では、一ノ矢さんからジャン・コクトーが相撲を鑑賞し、立ち合いについてバランスの妙技と形容し感激し長い文章を残しているとのこと。コクトーと相撲についても要リサーチ。また、JACSHA樅山の「1時間くらいしきり直しをしている間、観客は待つんですか?」の質問に、一ノ矢さんが「やっぱり酒を飲んで」と、邦夫さんが「そういうものだったんです」と応答し、樅山が「素敵、そういう感覚」と言ったところで、素敵と言えることも素敵だと思い、1時間立ち合いを待ち続ける感覚に思いを馳せる。以前、ジョアン・ジルベルトの横浜でのコンサートで、途中、舞台上でジョアンが眠ってしまったのか、何十分もギターを抱えたまま演奏しない時間を観客が待ち続けたことがあった。あの時、客席から歓声が飛んだり、拍手が起こったり、静かになったり、いつまでも始まらない次の曲を大観衆と待つ体験は非常に豊かな時間だったことを、思い出した。

 昨日、「般若心経」の現代語訳で話題にのぼった伊藤比呂美さんが現代語訳しているということで、JACSHA世話人の里村が選んだのは「説経節」の「かるかや」の音読だった。説経節は浪曲の前身の語り物の芸能。冒頭部分で、神様、仏様が本来どういった人間であったかを語り始めるところから、引き込まれていく見事な文章で、こうした形で隠れ四股タンの四股神についての語り物を創作するのも面白いのかもしれないと思わせるようでもあるが、実は、JACSHA鶴見は今朝、関東から沖縄への移動の最中に隠れ四股タンについての物語を執筆していたのだ。竹澤さんは、伊藤比呂美さんにお会いしたこともあるが、娘さんにお箏を教えたこともあり、その娘さんのお父さんから里村はポーランドを教わり、最初に「ポーランド語はクマゼミみたいだから、クマゼミになるんだよ」と言われたことを鮮明に覚えている。竹澤さんは高校時代に沢井忠夫先生に初めてレッスンを受け、「この子は耳がいいから必ず伸びるよ」と言われたことを今でも覚えているとのこと。小錦が高砂部屋に入門して間もなく日本語があまり分からなかった頃、高砂部屋の親方が英語で言える言葉がプッシュだったので、稽古中にプッシュ、プッシュと言い続けていたら、小錦が押し相撲になった、というエピソードを大昔に聞いた記憶があるが、本当だろうか?最初の教えは、いつまでも冷凍保存されて新鮮に残り続ける。

 ヴァイオリン属の弦の種類は、数百もあり、100では収まらない。ビルトーゾ、ウルトラ、ソフト、ヘビーなど、いろいろあるが、ヘビーと言われると、脇から蛇が出てくる砂連尾さんをイメージしてしまう。コントラバスの弦は切れることはないが、理想は半年で張り替えるらしく、4本変えると10万以上してしまう。低音の箏の十七絃も理想は半年から一年で張り替えだが、やはり高価なので、リサイタルの時などに張り替える。熟練した楽器屋さんが糸をしめると、張りがあるけれども弾力性がある。こうした箏や三味線の弦をつくる会社が、次々に廃業していき、音のいい弦の会社がなくなっていく。粗悪品の会社が儲けていて、いい音のメイカーが潰れていく。

 箏曲の「六段」は108拍なので、100ではなく108踏んだ。ゆっくりしたテンポから始まり、少しずつ加速。二段目以降も踏んでみたい。後半は、初の試みで一人50カウントずつで、2巡目になった。50カウントはあっと言う間。石神さんの「わらべうた」、四戸さんのコントラバスでの「相撲甚句」など、もっと聞きたい。竹澤さんが超高速で「般若心経」を朗読。この50踏ずつ目まぐるしく変わった後、全員でポリフォニックに響くエンディングが劇的だったし、いつも以上に汗をかいた。ある種の序破急であったのかもしれない。感想を語り合っている途中に、飛行機内からJACSHA鶴見が登場。飛行機の外に出ると同時に、本日の感想戦が終了した。

四股ノオト
6/26 四股ノオト

6/25 四股1000 五十九日目 隠れ四股たん

 11名参加。東京、神奈川、茨城、京都、福岡より参加。今朝早くの大きな地震の話をしながら、ルルベ、ドゥミプリエ、壁の股割り、腰割りから開始。本日のカウントは、さいたまトリエンナーレ2016千秋楽での、一ノ矢さんと呼出し邦夫さんとJACSHAの相撲聞芸術フォーラム「相撲道と作曲道2」より呼出し道、ポーランド語の数字(ver.)、バッハ「フランス組曲第1番」よりアルマンド、松井茂短歌作品集(和歌詠みver.)、さまざまな生き物(猫、犬、蛙、鳩、烏、人など)、「アリになった数学者」(森田真生著)、般若心経、日本語の数字(ver.)、全員のカウントで1000回。

 JACSHA鶴見は鍵盤ハーモニカで、バッハのアルマンドを演奏した。バッハを聴きながら四股を踏むのは初体験かもしれない。昨日でたアイデアの、四股を踏みながら聴くコンサート「四股ンサート」をイメージしたという。最近は他のメンバーの数字カウントでも、数字音読の軽さや割り切り感に捉われないように、四股踏みの体感に合わせて、読む時の声色や抑揚に工夫があり、ネバっこい傾向がある。それも意識して、流れるようなアルマンドを選曲したらしい。アルマンドは舞曲の一種らしく、どんな踊りかは分からないが、四股でも踏みやすい音楽だ。それならばと、ガボット、クーラント、アヴェ・マリア、グレゴリオ聖歌など、四股踏みに合いそうな西洋音楽が挙げられた。テンポチェンジ稽古を始めた一週間前、箏曲「六段」でのカウント案が出たが、(6/18 四股1000 五十二日目テンポチェンジ参照)、「六段」は隠れキリシタンがグレゴリオ聖歌のクレドの伴奏として作ったと言われ、同時に演奏することができる。そして、現在の四股1000メンバーでアンサンブルが可能だ。禁止されてもキリスト教を信仰したい思いと、コロナ禍でもどうしても四股が踏みたい思いがリンクして、ゆるキャラ「隠れ四股たん」が爆誕。四股1000は、体をゆるめることがポイントなので、文字通りのゆるキャラである。「隠れ」には、インナーマッスルの意味も込められる。

 箏奏者の竹澤さんは、ラスト100回の全員カウントのときに般若心経を唱えることが多いが、今日はカウント担当の時に、途切れ途切れの般若心経を唱えた。般若心経といえば、流れるようなメージしかなかったが、日本語的に漢字の意味を考えながら、一歩ずつ、一語一語が読まれていった。唱え方が変わると見える景色もだいぶ違ってくる。踏めば踏むほどに、今日もいろいろなことを発見した。

四股ノオト
6/25 四股ノオト

6/24 四股1000 五十八日目 四股ンサート

 101名参加。東京、茨城、京都、大阪、福岡より参加。「虚像のアラベスク」(深水黎一郎著)も参照にしながら、ルルベ、ドゥミプリエ、壁の股割り、腰割りから開始。本日のカウントは、「アリになった数学者」(森田真生著)、竹野相撲甚句(桃山御殿)、松井茂短歌作品集(和歌詠みスタイル)、「軸とハラを鍛えれば必ず強くなる!」(高岡英夫著)より、地重力と流動力系、日本語の数字、さいたまトリエンナーレ2016千秋楽での、一ノ矢さんと呼出し邦夫さんとJACSHAの相撲聞芸術フォーラム「相撲道と作曲道2」より、八百長と呼出し道、吉沢検校「千鳥の曲」より波の手事、「ワニのオーケストラ入門」(ドナルド・エリオット著)より、シンバルと大太鼓、全員のカウントで1000回。武隈親方もスーツ姿のパネルで参加した。

 文化生態観察家の大澤さんは、本を持って朗読をしている時は、四股に躍動感があふれ、テンポも踏みやすく心地よい。数字でカウントすると、体内にカウントが生まれてしまって運動的になってしまうが、朗読の時はそうならないという。昨日の神田さんが言っていたことと似ている。おばあちゃん達の盆踊りは、1234では割り切れない動きがあるという。お相撲さん達が四股の稽古をするときのカウント、相撲健康体操でのカウントではさらにそうなのだが、打点や節目が分からず、1拍が伸びたり縮んだりするのだが、合わせてやると不思議と違和感なく流れるようにに一連の所作を行うことができる。なんならカウントしなくてもいいんじゃないかと思えるほどだが、集団でやるときの知恵と、本来の体の感覚の自然なマッチングなのだろう。

 歌手の松平敬さんがよくカウントしてくれる「松井茂短歌作品集」は、最近は和歌詠みスタイルだ。そこから話題が詩吟へと繋がり、詩吟界には驚くべき流行の仕方があることをいろいろ知る。例えば、詩吟専用チューナー。それがあれば詩吟ができるいわば詩吟ボックスだ。似ているものに高度な機能をもつメトロノームやタブラマシンなどを想起するが、四股1000ボックスの開発も面白いかもしれない。

 四股1000は、四股を踏みながら数字を聞いたり、朗読を聞いたり、音楽を聞く行為でもある。それが、単に聞くのと四股踏みしながら聞くのとは、理解の仕方というか体へのインプットのされかたが何か違う。踏みながらならではの響き方がある。そのことから、四股コンサートをやったらどうだろうと提案がある。リラックスして四股踏みしながら聴く30分のコンサート。これはまさしく四股1000!かなり実現度の高いアイデアである。コの連続は言いにくいので、少し省略して四股ンサートにしておこう。

 今日はコントラバス奏者の四戸さんが参加されたので、昨日の神田さんからの、重くて長〜い1を実現するためのコントラバスとバスドラムのデュエットカウントに向けて、試演していただいた。懸念していたように、コントラバスの低音を聞きとれるためには、zoomの特性に合わせた演奏の工夫が必要であることが分かった。四股1000はもともとオンラインで始まったので、その環境に合った演奏や音を追求していくことは、今までにない新しい音楽作りになるので楽しい。というわけで、今日は四股1000の発展へのさまざまなアイデアが生まれた。武隈親方(のパネル)も始終笑顔で楽しそうだった。

四股ノオト
6/24 四股ノオト

6/23 四股1000 五十七日目 鎮魂

 8名参加。東京、茨城、神奈川、京都より参加。味噌汁と雑煮と餅の話をしながら、ルルベ、ドゥミプリエ、壁の股割り、腰割りから開始。体内が味噌汁になったり、餅のような気分になる。本日のカウントは、元素(軽い方から)、北海道の郡町村、日本語の数字(普、超重)、月桃、JACSHA野村が読む相撲聞芸術フォーラム「相撲道と作曲道2」より、土俵祭りについて、「御馳走帖」(内田百けん著)より、戦時中の食べたい物目録、全国の空港100選、全員のカウント(ひーふーみー、猫、犬、カエルなど)1000回。

 打楽器奏者の神田さんは、「い〜〜ちに〜〜さ〜ん」と非常にゆっくりな低音のカウントで、ネバっこく重たい四股を誘った。体の重みを軸足に乗せる瞬間、他方の足が上がる瞬間、下りる瞬間を感じてドンと落ちる、この一連の流れを、点と点ではなく線で繋げ、長〜い1として感じるためだという。四股1000の基準速度はテンポ40くらいであるが、それで裏拍を感じると(テンポ80の刻み)、カウントに乗ろうとして軽くなってしまうからだという。体の重みだけでなく、身体中が餅のように何か違うものに変質するような、ドロドロしたものが体内から出てくるような、不思議な感覚が襲う。そうしたネバっこい曲線運動と、踏みしめるド〜ンの連続は、コントラバスのポルタメントとバスドラムが似合いそうなので、神田さんと四戸さんのデュエットカウントに期待が膨らむ。

 今日は慰霊の日だ。JACSHA鶴見は沖縄戦の歌「月桃」を歌ってカウントした。三拍子の音楽に合わせて優しく踏み続ける。鎮魂歌として沖縄ではよく歌われるそうだ。今日も沖縄の各地で歌われ、もしくは聞くだけでも、月桃で思いを馳せている人は少なくないのだろう。JACSHA里村が読んだ本は、作者が戦時中に食べられなかったが食べたかった御馳走の数々だ。四股は鎮魂でもある。四股で心が癒される。今日という日にみんなで四股を踏めて本当に良かった。

四股ノオト
6/23 四股ノオト

四股1000 PR動画

四股1000のPR動画を作りました!ご覧ください!

さまざまなメンバーがオンラインで繋いで、来る日も来る日も1日1000回の四股踏みに励んでいます。この四股は、JACSHAが元・一ノ矢さんから教わった佐川流四股からインスパイアされたものです。お相撲さんが土俵上や稽古でやるゆっくりとしたダイナミックなものに比べると、1歩がテンポ40くらいの小さな四股なので、無理なく1000回踏めます。自分なりの踏み方で、リラックスしてやるのがポイントです。多言語による数字カウント、リストや名前の呼び上げ、朗読、歌など、様々な方法で、みんなで代わる代わるカウントして1000歩に到達します。お楽しみください!

四股1000ページに、日々の記録をアップしていますので、合わせてこちらもチェックしてください。

四股1000
企画:日本相撲聞芸術作曲家協議会(JACSHA)
映像編集:渡邊慶将

6/21 四股1000 五十五日目 夏至股夜四股

 夏至と新月の本日は特別稽古「夏至股夜四股」。暗闇での四股踏みはどんな感覚なのだろうということから発して、新月なので夜は真っ暗になるだろうし、合わせて一年で一番日が長い日の夕暮れの、全国各地の時差を共有しながら楽しもうと企画した。19:00から20:00の間に、オンライン中継の風景はそれぞれの美しさで次第に変化していった。

 この四股1000は、コロナ禍の影響のステイホーム期間中に始まったため、一人ひとりがオンラインで繋ぎ、基本的に自宅で実施しているが、19日に都道府県をまたぐ移動が解禁になったこともあり、近隣の参加者同士が野外に集合して、稽古開始から五十五日目にして初のオフライングループ中継組もいた。

 18名参加(過去最高)。東京、神奈川、京都、大阪、福岡、沖縄より参加。野外からは、隅田川(東京)、鴻応山をバックに豊能町の畑(大阪)、京都のマンションの屋上、糸島海岸(福岡)、トロピカルビーチ(沖縄)。本日のカウントは、日本語の数字、元素、四股踏みドリーマー甚句、川の流れのように、鉄道の旅、地歌「黒髪」、ポーランド語の数字、インドネシア語の数字、全員+鍵盤ハーモニカ+相撲甚句「当地興行」のカウントで1000回。

 隅田川チームは8名参加。両国国技館からすぐそこのリバーサイドで、壁には相撲の浮世絵、柵には決まり手がデザインされ、相撲の臨場感溢れる環境。一挙に8人もの多人数がリアルに四股踏みできる喜びで大はしゃぎになり、飲めや歌えやの「飲めや」箇所はないものの、言い換えれば、四股踏みゃ歌えやの「四股の宴」たけなわ。川のさざなみ、時々通り過ぎる屋形船、対岸の都会の灯り、総武線の電車の音、四股歌と足踏みの音。春の隅田川では、「飲めや」も追加して各地の四股踏み中継を楽しむ「お四股見」を計画したい。隅田川に来るとなぜかそういう気分になってしまうのかもしれない。

 豊能町の畑チームは4名参加。ダンサーの佐久間さんは『柔らかな土が気持ちよかった。裸足でしたんですが、足の方がすこしづつ深く、なめらかになっていき、四股型のようになっていきました。踏みしめても全然痛みもなく、スネの骨が立ち感じもつかみやすかったです。』とのこと。裸足で土を踏みしめるというのは、四股の原点のような気がする。彼らがポーランド語とインドネシア語で700〜900歩をカウントする間、鴻応山の空が桃色から紫、漆黒と次第に夜になり真っ暗になった。隅田川では体験出来なかった闇四股はどんなだっただろう。

 糸島海岸の大澤さんは、砂浜で裸足の四股。『ずっと踏みしめると最初は柔らかかった砂が固くなっていくのが面白かった』、『海の波を感じながら四股を踏むのは、とってもいい。ダイレクトに体の中の水が、海の波とつながる感じがします。海の波が寄せたり引いたりする大きなリズム(文字通り「律動」というか)と同期した、ゆーっくりした四股を踏んでみたくなりました。体の中の水が、海の波と同期して波を打って、その体の内側の波によって、体が動かされるような四股を踏んでみたい!と強烈に思いました。』、ちょうど潮が満ちてくる時間帯だったので、『波がちょっとずつ足元に近づいてきて、じわじわと、満ち満ちした感じが、沁み沁みと体に沁みこんできてました。引き潮を見ながら四股を踏むのと、満ち潮を見ながら四股を踏むのは、ちょっと感覚が違うんじゃないかと思う。』とのこと。

 波のリズムや潮の干満と同期した四股体験は魅力的だ。干満は、四股を踏み込む時(満ち潮)、足あげる時(引き潮)の、地球の大きな四股リズムともいえる。踏みしめていって滑らかになったり固くなったりしていく土や砂が、潮水、塩と水と繋がっていく。それはまさしく土俵、土俵作りなのだと気づく。山の土俵と海の土俵。四股1000は地球の土俵作りなのだ。そういえば、呼出しさん達は土俵作りで、フカフカの土をまず固める時は、年中何千回何万回も四股を踏むようにして、小さい足踏みを何遍もしてならしていく。そうして心地よくなった地面が土俵になっていったのかと思うと、四股だけで土俵作りをして相撲をとってみたくなる。JACSHA鶴見が二週間前に作った「四股踏みドリーマー甚句」は、歌に読み込まれた夢が、今日という良き日にいくつか叶ったらしいので、これらのやりたいことをどんどん甚句に込めて歌ってもらいたい。

各地の様子写真
6/21 四股1000 夏至股夜四股 開始時の各地の様子

 

糸島海岸と豊能町の1時間の変化

糸島豊能町1糸島豊能町2糸島豊能町3糸島豊能町4糸島豊能町6

6/20 四股1000 五十四日目 アリ

 9名参加。東京、茨城、京都、福岡より参加。ルルベ、ドゥミプリエ、壁の股割り、腰割りから開始。本日のカウントは、JACSHA野村が読む相撲聞芸術フォーラム「相撲道と作曲道1」より、岩槻の子ども古式土俵入りの動きと相撲の技との共通点/テッポウの肩甲骨の回し方について、「中動態の世界」(國分功一郎著)、琉球古典音楽「述懐節」、宮城道雄三味線練習曲22番(二上り)、日本語の数字、「アリになった数学者」(森田真生著)、全員のカウントで1000回。参加者が10人未満のときは、ラスト100歩は全員一斉にそれぞれの仕方でカウントすることが多く、カオスだったりポリフォニーだったりヘテロフォニーだったりと毎回凄い音響になる。最近のテンポチェンジ四股稽古により、ラスト100歩のテンポもそれぞれになり、1000歩目がだいぶズレて終わるようになったのも面白い。今日の合奏カウントラスト100歩も印象深かった。それまでの900歩中にいろんな物語があり、ハードなテンポチェンジ四股を経たあとに、箏奏者の竹澤さんがメゾピアノで歌う「ゴンドラの唄」が、合奏カウントのカオスにうっすら浮かび上がる。一挙に力が抜け、まるで映画のエンドロールの中にいるような恍惚の四股だった。JACSHA樅山は、四股を踏みながら中動態に思いを馳せ、その後「アリになった数学者」の朗読を聞くことで、本当に自分の胸部から6本の脚が生えていて、それらを自由に動かせるような気がしたという。アリの視点で世界を見てから、ドラマチックなテンポチェンジを経て、自分の6本の脚を肩甲骨から回すイメージで四股を踏んでいたら、ゴンドラの唄が聴こえて来たので、自分は死んだのだろうかと感じたそうだ。四股を踏むことで誕生から死までを体験してしまった。これを名付けるならば「世の終わりのための四股奏曲」(作曲:メ四股アン)となるだろうか。

 JACSHA野村が音読した、一ノ矢さんのテッポウの教えに応じて、四股を踏みながら人テッポウ、猫テッポウ、蟻テッポウと、肩甲骨と腕の動きも充実した。テッポウは一ノ矢さんによると『引く動きが大切だが、引きすぎると筋肉を使ってしまうので、引きすぎず、物足りないくらいが良い』とのことで、肩甲骨を大きく回すのではなく、前の方でやるイメージだ。この回転運動はいろいろなシーンに展開されていることが判明した。打楽器演奏時の重力にしたがう動きと引いて抜くときの連続した円運動、卵の泡立て、おじいちゃんが演奏するお祭りの囃子太鼓の、包容力のある柔らかいリズム(踊りたくなる)、シュッシュッと弦を摺るお箏の奏法「散し爪」は直線でなく回すように演奏する。前方回転運動に成功すると、これらが無理なく疲れずに一定のテンポでいくらでも繰り返し連続できるという。

 JACSHA鶴見は、琉球古典音楽の難曲「述懐節」でテンポチェンジカウントに挑戦した。一歩一歩の長さが変化し、リテヌートも頻繁にありフェルマータもあるので、合わせて四股を踏むのは至難であるが、何度もやったら曲に慣れて踏めるようになるだろう。こうして、いろいろな楽器や音楽について四股やテッポウを通して学べてしまうのは嬉しい。日本の伝統的なテンポチェンジの音楽構成といえば「序破急」がある。知っているようでよく知らないので、学びたいと提案があった。いつしか四股1000で「序破急」も踏める日が来るかも知れない。

四股ノオト
6/20 四股ノオト

 

6/19 四股1000 五十三日目 餅の気持ち

 11名参加。東京、茨城、京都、大阪より参加。ルルベ、ドゥミプリエ、壁の股割り、腰割りから開始。腰割りは、JACSHA野村が読む相撲聞芸術フォーラム「相撲道と作曲道1」より、一ノ矢さんの教えを聞きながら丁寧に実施。本日のカウントは、「虚像のアラベスク」(深水黎一郎著)、松井茂短歌作品集(ひー、ふー、みー)、元素(軽い方から)、さいたまトリエンナーレ2016千秋楽での一ノ矢さんとJACSHAの相撲聞芸術フォーラム「相撲道と作曲道1」より、腰割りと四股、「中動態の世界」(國分功一郎著)、琉球舞踊曲(揚口説、かぎやで風節、唐船どーい)、全員のカウントで1000回。

 昨日に引き続き、テンポチェンジ四股稽古を試みる。裏拍の取り方(足を上げるタイミング)はたびたび議論になるが、速踏みになると一層意識される。オーケストラの指揮者によって裏拍の振り方が違うように、四股でもさまざまだ。打楽器奏者の神田さんは速踏みをうまく踏むコツとして「ニヨォッ」と表現した。ニで装飾音が爪先でオンビート、ヨォッで踏み込むイメージ。JACSHA鶴見は、テンポチェンジ四股は催眠術にかかるようだという。確かに石神さんの元素カウントで、軽い方から重い方にかけてのジワジワとしたリタルダンド、神田さんの重い口調による遅いテンポ、四戸さんの高い口調による速い四股からのモデラートなど、イメージや声からの影響でも自ずと四股のスタイルが変化する。鶴見は、三線を演奏しながらのテンポチェンジカウントに挑戦したが、「唐船どーい」などの早弾き曲を立奏するのは苦手なので、ほとんど座った時の姿勢に近くなるまで深く腰を降ろし、足をほとんどあげない四股ならば出来るという。速踏みは腰高になりがちだが、やってみると大変キツいけれど、これも体を整える四股として有意義であろう。

 ゆる体操をした後に今日の四股1000に臨んだダンサーの砂連尾さんは、臼の中に入っている餅の気持ちになったという。自分で餅をついて、さらにつかれて、グニッグニッと一人何役もこなしていると、いい腰や体が出来てくる。新しい情報が入りやすくするため、餅をつきなおし、孵化する体を作らなければいけない。いい餅をつくための四股なのだと言う。自分自身がついてつかれる餅であることをイメージしてみると、JACSHA里村が読んだ本の中動態(受動態でも能動態でもない状態)とリンクする。また、餅つきといえば、お相撲さんを想起する。明後日に計画している、新月で夏至の日の夕暮れ〜夜の四股会から半年後の冬至の日には、餅つき四股大会が提案される。相撲部屋での餅つき大会もちょうどこの時期だ。お相撲さんも餅の気持ちになるのだろうか?そうして餅に憑かれた稽古後には、参加者から餅を食べたという報告が続出した。

四股ノオト
6/19 四股ノオト