9名参加。東京、埼玉、茨城、京都、沖縄より参加。股関節を柔らかく緩めて優しく開く繰り返し、理想の蹲踞、からのドゥミプリエ、ルルベの繰り返し、塵手水、腰割りとイチロースタイル肩入れより開始。本日のカウントは、ぼすぽう節、日本語の数字、8月21日読売新聞朝刊「戦後75年終わらぬ夏 〜差別の傷痕 伏せた母〜2世の沈黙」、2016年11月20日JACSHAフォーラム、「説経節かるかや」(伊藤比呂美現代語訳)、オランダ語の数字、全員のカウントで1000回。
四股前のシャワー、四股後のシャワーの話。JACSHA鶴見は、四股1000前に一通り運動をしているらしく、大きな快感を後に持ってきたいので、四股後シャワー派らしいが、四股1000前にひと汗かいた後には、ボディシートで体を拭いてスッキリさせてから四股に望むらしい。インドネシアや沖縄では日常的に何度かシャワーを浴びる習慣がある、現在のコロナ禍の生活では、外出から帰宅した後にシャワーを浴びるので、慣れるとシャワーは意外に気軽であることに気付く、など、猛暑の夏とコロナとのシャワー生活状況を共有。
鶴見がカウントした「ぼすぽう節」。ぼすぽうは下着の腰巻のこと。男女が明るく誘い合うような遊び歌。最近は重い内容の歌が多かったということで選曲したらしく、面白い歌で楽しませてくれた。
評論家の松平あかねさんは、太平洋戦争で苦しんだ人生を歩んできた、在米日系人2世の親について、娘さんのシャーリーさんが語った記事でカウント。留学したことのあるワイオミング州に日系人強制収容所があったということを、この記事で知ったということで読んでくれた。シャーリーさんのお母さんは、強制収容所を楽しかった思い出として記憶を上書きして話すそうだ。娘であっても、自分の戦争体験を他の人に話すことはとても勇気がいることで、簡単には聞け出せないものだ。太平洋戦争終戦から75年。存命する戦争経験者は少なくなくなり、語り継がなければ事実や記憶は風化してしまう。今日はお話を聞けてとても良かった。JACSHA世話人里村は、在米日系人2世の戦争体験について、山崎豊子の著書で読んだことがあるという。
JACSHA野村が連日音読しているJACSHAフォーラムでは、大相撲では、現代的な稽古や医学と並行して、伝統的な慣習や思いも大事にして実践していることを、入間川部屋の稽古見学のときに体験した話。親方は、「まった」は堂々とやっていいのだから、タイミングが合わなかったら大きい声で「まった」と言いなさい、などと現代的な指導をしたり、力士が稽古中に怪我をしたのですぐに病院へ連れて行った。全ての稽古が終わった後、土俵を綺麗にしている時に、部屋頭の力士が、塩と酒を持ってこい、と若い力士に指示をし、怪我をした場所に塩を盛り、多めに酒を撒いて清めるように指導していた。そこは、その頃よく力士達が怪我をする場所でもあったので、入念に清めていたのだ。病院にも行けばお清めもする。そうした現代と伝統の両方を大事にする音楽を作りたいと語られる。