大相撲を聞く 2018年11月3日 野村誠

大相撲を聞く

 

作曲家の耳には、自然に大相撲はオペラ(総合芸術)として聞こえるのだが、そう言われてピンとくる人が決して多くないようなので、一度、作曲家の耳を通して、大相撲を聞いてみよう。そもそも、大相撲は、朝8時半から夕方18時まで、9時間半で150番以上の取組が行われるわけだが、競技としての相撲の時間は平均10秒程度である。ということは、競技としての相撲の時間は、1時間にも満たない。つまり、9時間半の時間の大半は、競技以外のことが行われているわけだ。そうした競技以外の時間も含めて、大相撲の音に耳を傾けてみることにしよう。

 

1 名前を聞く

 

大相撲は、声楽を楽しむ場だ。まずは、呼出し。最初に、土俵中央で、呼出しさんが、東西の力士のしこ名を呼び上げる。東の力士を呼び上げる時は、東を向いて、西の力士の時は西を向いて呼び上げ、その途中で声を出しながら180度回転するので、空間的にも音場が移動していくので面白い。これは、非常に力強い大きな声の歌だ。オペラで言えば、アリアと呼ばれる独唱曲に近いだろう。日本音楽で言えば、声明と呼ばれる僧侶の読経の声質に近いかもしれない。音階もはっきりしていて、いわゆる陰旋法と呼ばれる邦楽独特の音階だ。音域は、呼出しさんによって違う。テノール歌手もいれば、バリトンやバスの歌手もいるように、高い声が魅力の呼出しさんもいれば、低く太く聞かせる呼出しさんもいる。

イギリス人の作曲家ヒュー・ナンキヴェルが大相撲を鑑賞した時の感想が、「取組の前に歌手が出てきて歌うのが、凄かった」だったが、これは、呼出しさんの呼び上げのことである。力士は、自分の名前が朗々と大声で歌い上げられるのを聞いてから土俵にあがるのだ。

これで歌による名前の紹介が終わりかと思うと、大間違いだ。まだまだ続く、名前ソング。今度は行司が、力士のしこ名を呼ぶ。こちらの発声は行司独特の発声で、呼出しのストレートな声質とは違い、ややこもったような声音だ。呼出しのように歌いあげるのではなく、歌と語りの中間で、オペラで言えば、レチタティーボ(叙述などに用いられる朗読調の歌唱)とでも言ったらいいのかもしれない。呼出しの声が僧侶の声明に近いとすれば、行司の声は、神社の神主の祝詞の声に近いかもしれない。行司の音の高低の節回しは決まっているようで、最後の音を伸ばしながら下がってくる(ポルタメント)のがポイント。

この微妙なポルタメントの下がり方が、行司さんが違えば、もちろん違う味わいになるので、それを聞き比べていくのも楽しいのだが、これがテレビ放送のある上位力士の時間帯(夕方)になると、観客席も超満員になり、力士に声援が飛び交い過ぎて、行司の微妙な声色の変化まで聞き取れないこともある。声援に行司の声がマスキングされるのだ。だから、行司の声を楽しむためには、観客がまだ少ない時間帯から鑑賞することがお薦めだ。もちろん、早い時間帯になればなるほど、若手の行司さんが登場するのだが、そうした中に、キラリと光る声の行司さんが何人もいる。そして、こうして、耳が行司の声を聞くのに慣れてくれば、大観衆の声援の中でも、行司の微妙な声づかいが聞こえてくるわけだ。

大相撲が丁寧なのは、これで力士のしこ名の紹介が終わらないことだ。さらに、場内アナウンスで、力士の名前が紹介される。こちらは、全く歌の要素はなく、通常の話し声で紹介される(ちなみに、この声も、土俵上にいるのとは別の行司さんが担当している)。

まず、力士の名前を紹介されるだけで、3種類の全く違った発声法(①歌声、②歌と語りの中間、③通常の話し言葉)で聞くことができる。ちなみに、力士のしこ名は何文字というルールはないが、呼び上げのメロディーは、5文字でぴったりなので、多くの力士の名前は5文字前後になっている。

 

2 ボディパーカッションを聞く

 

力士が土俵に上がると、柏手を打ち、四股を踏む。まず、この柏手、力一杯のフォルテッシモの力士もいれば、軽くメゾピアノで叩く力士もいる。まず、柏手の打ち方一つでも、力士一人ひとりの個性が聞こえてくる。

しかも、この柏手が東西に分かれてステレオで聞こえてくるので、なお面白い。柏手が東西の力士で、同じタイミングで鳴らされる時もあるし、東西の力士が微妙にタイミングをずらして打つ時もある。相手と呼吸を合わせる派と、自分のペースを貫く派とでは、東西の柏手のアンサンブルは全然違ってくる。例えば、お互いがテンポを合わせれば、それはユニゾンになる。しかし、お互いがペースを合わせようとせずに、二人が完全にマイペースに進む時などは、東西が完全にずれ合い、ホケット(しゃっくりのようなリズムを意味する音楽用語)になることもある。この柏手と四股のタイミングの組み合わせも、注意して聞くと、千差万別で面白いのだ。

また、力士のボディパーカッションも要注目だ。多くの力士が、取組前に自分の体をパチパチ叩くことがある。おそらく、取組前に、自分に気合いを入れるためだったり、緊張を解すためだったり、血行をよくするためだったり、げんかつぎだったり、様々な理由があるのだろう。鍛えられた肉体を力強く叩く音色は、一聴に値する。まわしを叩く、お尻を叩く、腕や顔を叩く、人によって、本当に色々なところを叩いている。この体を叩く音を、二人の合奏だと思って聴くと、二人の力士の間で、シンクロする時もあれば、お互いにずれ合う時もある。そして、制限時間前は、こうしたボディパーカッションに加えて、観客の声援も最高潮に達する。

 

3 沈黙を聞く

 

ここで、会場全体が高揚したオーケストラになった直後、行司が「手をついて、まったなし」などの声をかけ、突如、会場全体が息をのみ、立合いに集中する。相撲は1、2秒で勝負がつくこともあり、長い相撲でも30秒を越えることは少ない。だから、立合いに力士も行司も観衆も集中する。そして、この立合いの瞬間は、誰も声を発しない。だから、沈黙になる。この瞬間だけは、音がなくなるのだ。

草相撲などでは、行司が「はっけよい、のこった」と合図をして、相撲を始めることがあるが、大相撲では、開始の合図は誰も出さない。ただ、東西の力士と行司の三者で黙って息を合わせるのだけなのだ。この沈黙は、相撲の醍醐味で、大相撲という総合芸術の中の最も美しい静寂だと思う。

 

4 行司の声を聞く

 

静寂の後、取組が始まる。激しいぶつかり合いをする両力士の間で、「のこった、のこった」と声を出し続けているのが、行司だ。この行司の声は、相撲に伴奏する音楽で、相撲のテンションを音で表現するものと言えるかもしれない。この「のこった」の連呼は、決して同じテンポで単調に繰り返されるのではなく、時に、微妙な間(フェルマータ)があったり、加速したり(アッチェレランド)する。時には、「のーーー、こったの、こったの」と聞こえることもあるし、「のこっ、たのこっ、たのこっ、たのこった」と聞こえてくることもある。「こっ」の部分にアクセントがついている行司もいるし、「た」にアクセントがつく行司もいる。この「のこった」を、どんなニュアンスで、どんなフレージングするかに、行司一人ひとりの個性があり、その違いを聞き比べるのも大相撲の楽しみの一つになっている。

ずっと、「のこった」だけが続くかと言えば、そうではない。取組が硬直状態になると、行司は「よい、はっけよーい、よい」という言葉を繰り返し、展開を促したりする。この「よい、はっけよーい、よい」は、相撲が硬直状態のため観客が静かで、比較的よく聞こえてくる。「のこった、のこった」の方は、大技が出る度に、観衆が一斉にどよめくので、実際の音楽としては、行司の通奏低音の「のこったのこった」が鳴り続ける上に、時々大観衆のどよめきがオーケストラのトゥッティのように加わるように聞こえる。この時、力士は、大観衆というオーケストラを指揮する指揮者に見えるのだ。

勝負がつくと、行司が「勝負あり」と言うが、この声は大観衆の歓声にかき消されることが多い。その後、勝ち力士の名前を行司が、歌声と語りの中間の(レチタティーボ的な)声で呼び、その後、場内アナウンスで、決まり手と勝ち力士の名前が放送される。すると、次の取組の力士の名前を呼出しが呼び上げ、以下同様につづいていく。

 

 

5 柝(拍子木)を聞く

 

ここまでは、声や体から出る音を聞いてきたが、相撲には、楽器が奏でる音もある。その代表的なものが、柝(=拍子木)である。柝は、ここぞという要所に打ち鳴らされる。柝の甲高い乾いた音は、国技館全体に鳴り響き、その音色は、たった一音で空間を神聖化するほどの力を持つ。硬質な木の楽器、例えばシロフォンと呼ばれる木琴などは、硬質なマレットで叩くと耳に痛いので、しばしば毛糸をまかれた柔らかいマレットで叩いて音色を調整する。逆に、敢えて、硬い音色が欲しい時に、木のマレットで叩く。硬い木の鍵盤を、硬い木のマレットで叩けば、それは硬い音がする。ところが、この柝という楽器は、硬い木を硬い木で鳴らすのだから、格別に硬い音がする。しかも、シロフォンの場合は、球状のマレットで叩くから、一点で鳴るのだが、柝の場合は、面全体で打ち鳴らされるので、そのパワーは絶大だ。つまり、力士が立合いの一瞬に渾身のパワーを込めて当たるように、渾身の一音を鳴らすのだ。しかし、これが力んでしまっては、音の振動が止まってしまう。力みなく、力を抜いて、渾身の一撃を鳴らす。その一音によって、場が清められる。だから、柝はここぞという時に、登場するのであって、滅多矢鱈とは登場しない。そんな登場回数の限定された柝の音色を味わうことは、大相撲においても特別な音体験だ。節目節目に鳴るので、柝が打ち鳴らされる瞬間に、トイレなどに行っては勿体ないが、大相撲は朝8時の朝太鼓から夕方18時半のはね太鼓が終了するまでの10時間半もある長大なパフォーマンスなのに、中入りという休憩が一度あるだけだ。だから、どこでトイレに行くかの判断は、かなり難しい。

さて、この柝の音が最も活躍する特別な時間が2回だけある。一つが、十両土俵入りの時間。もう一つが幕内土俵入り〜横綱土俵入りの時間である。これら土俵入りでは、化粧回しをつけた力士が花道から入場して来る間、一定間隔(数秒程度)で柝が打ち鳴らされ続ける。特に、十両土俵入りと幕内土俵入りは、入場する力士の数が多いので、柝の鳴らされる時間も長く、思う存分に楽しめる。さらには、花道を退場していく時にも、柝は鳴り続け、最後には加速(アッチェレランド)していき、る。

最もドラマチックなのが、幕内土俵入りや十両土俵入りで、東から西に移り変わる瞬間で、この時に、少しだけ、東の呼出しの柝の音色に、西の呼出しの柝の音色が重なるのだ。そして、二つの柝のピッチが若干違っていたりして、例えば、東の柝がA5(高いラ)より少し高い音で、西の柝が B♭5(高いシ♭)より少し低い音だったりすると、この音が重なり合う瞬間は、摩訶不思議な微分音(半音よりも狭い音程のこと)の掛け合いになるのだ。

 

6 観客参加の声を聞く

 

通常、大相撲では観客は自由に声援を送っている。しかし、観客参加型で、観客が一斉に声を出すことが暗黙のルールで決まっているところがある。それが、横綱土俵入りと、弓取り式である。相撲では、土俵にあがった力士は、必ず四股を踏む。しかし、通常、力士が四股を踏んでも、観客はそれに合わせて声を出すことはない。それは、これらの四股が土俵の東西に分かれて踏まれるからである。ところが、力士が土俵中央に立ち、正面を向いて四股を踏む時、観客は足が踏み下ろされると同時に、「ヨイショ」と一斉に叫ぶ。1万人以上の声が一斉に発する声は、一聴に値する迫力があり、力士の動きと声が見事に合わされば感動的でもある。

この土俵中央で四股が踏まれるのは、横綱土俵入りの時と、結びの一番の後で行われる弓取り式のみである。結びの一番が終わると席を立って帰って行く人もいるが、これは勿体ない。その後の弓取り式の「よいしょ」に参加するチャンスを逃すのは惜しいし、弓取り式の最中に会場がザワザワするのは残念なのだ。

 

7 親方の声を聞く

 

大相撲を鑑賞すると、呼出しと行司の声を交互に次々に聞き続けることになる。それ以外の声を聞くチャンスが、勝負審判の審判長を務める親方の声だ。勝負の判定が微妙と勝負審判の親方が判断した時に、「物言い」が起こり、親方たちが協議する。そして、協議の後に、正面の審判長である親方が、マイクで協議の結果を報告する。このマイクパフォーマンスも慣習的に様式化されていて、必ず、「ただいまのー、きょーぎについてー、ごせつめい、もうしあげます。ぎょーじぐんばいはーーー‥‥」と言った言い回しで、協議の内容を伝えるのだ。唯一、親方の声が聞けるチャンスで、熟練した親方の協議説明は、なかなか聞き応えがある。

 

8 太鼓を聞く

(つづく)

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